オーケンと絶望少女たちの絶妙な化学反応『かくれんぼか 鬼ごっこよ』

かくれんぼか鬼ごっこよ

かくれんぼか鬼ごっこよ

大槻ケンヂと絶望少女達のCD『かくれんぼか 鬼ごっこよ』聴きました。
TVアニメ「さよなら絶望先生」のスピンオフとも言うべきこの作品、主題歌「人として軸がぶれている」「空想ルンバ」をはじめ、オーケン絶望少女達絶望先生に登場するキャラたち)によるコンセプチュアル・アルバムです。
収録曲は以下の通り。
01 Intro-大槻ケンヂと絶望少女達
02 ニート釣り
03 空想ルンバ-少女が違うVER
04 綿いっぱいの愛を!絶望少女版
05 絶望遊戯
06 ヒキツリピカソ・ギリギリピエロ
07 無神論者が聖夜に
08 人形たち
09 人として軸がぶれている-少女が違うVER
10 さよなら!絶望先生
11 おやすみ-END
12 空想ルンバらっぷ
のっけから絶望少女たちが次々と「大槻ケンヂと絶望少女達」と囁きます。軽く怖い。
と、2曲目「ニート釣り」以降、怒涛のオーケンシャウト。「あーオーケンだー」とテンションup。
個人的な印象ですが、オーケンのシャウトって必要以上に魂とか他のどろどろしたものとか込められてそうで凄く好きです。
空想ルンバ」は改めて聴くとサビのピアノが凄く良いんですよね。歌詞も含めて、名曲だと思います。
「綿いっぱいの愛を」は大槻ケンヂが所属するバンド「特撮」の曲です。妙にエロいです。
「絶望遊戯」の歌詞はアルバムタイトルの「かくれんぼか鬼ごっこよ」の基となっています。絶望感と寂寥感が感じられる、このアルバム白眉の1曲。
「ヒキツリピカソ・ギリギリピエロ」狂気を孕みつつもの悲しい曲調が聴くものの不安感を煽ります。最後のモノローグでは一旦救いを与えた後に、再び突き放されます。
無神論者が聖夜に」はタイムリーな(?)クリスマスソング。けっこうまともな曲だと思うのですが、歌っている少女たちが二次元のキャラということを踏まえるとちょっと雰囲気が変わって見えます。(脳内彼女?)
「人形たち」もまた絶望感溢れる歌詞と曲調です。
人として軸がぶれている」はご存知アニメ「さよなら絶望先生」のオープニングソング。ノリノリです。
「さよなら!絶望先生」はまさに絶望先生糸色望)の歌。歌詞も絶望先生を再現しておりますが、意外と「救いようのある」曲です。
「おやすみ」はエンディング。かくれんぼも終わり、皆が家路に帰る、その寂しさ、人恋しさ。おやすみと言ってもらえる幸せを感じながら。
空想ルンバらっぷ」は「空想ルンバ」がラップになっています。なんというか、まったく別物でありながら「空想ルンバ」という面白い一曲。まさにボーナストラックですね。

聴いてて感じたのが「大槻ケンヂ」という歌い手と「絶望少女達(=「さよなら絶望先生」という漫画)」との相性の良さ。
筋肉少女帯時代から、彼が生み出す曲には「ダメな人間への賛歌」「非現実感(幻想感)」「現実への揶揄」といったエッセンスが散りばめられていますが、「さよなら絶望先生」もまさに同根のエッセンスがあると思います。
ダメ人間の悲哀を歌うオーケン、彼の歌声をコーラスやセリフ、はたまた主旋律で補う絶望少女達
どんなに肯定されても、所詮彼女達は漫画(虚構)の中の存在である、という組み合わせそのものが、大槻ケンヂ(リアル)と絶望少女達(フィクション)という、ある意味捩れたユニットとして絶妙の化学反応を起こしているなぁ、と思いました。
いわゆる「キャラソン」とは一線を画すアルバムで、非常に満足の1枚。オーケン好きの人にも絶望先生好きの人にもオススメできる良作です。