『さよなら絶望先生』とポリアンナ症候群

さよなら絶望先生(17) (講談社コミックス)

さよなら絶望先生(17) (講談社コミックス)

 先日発売された『さよなら絶望先生』第17集の表紙カバー絵は、絶望先生ではなく風浦可符香(P.N)でした*1
 物事を何でもネガティブにしかとれない絶望先生と反対の存在で、物事を何でもポジティブにしかとることのできない彼女ですが、にもかかわらず、その言動はときに絶望先生以上に病的だったりします。それは、彼女の言動が過度で盲目的なポジティブシンキング、すなわち”ポリアンナ症候群”にまで行き着いてしまっているからです。

一般的には、
・「直面した問題の中に含まれる(微細な)良い部分だけを見て自己満足し、問題の解決にいたらないこと」
・「常に現状より悪い状況を想定して、そうなっていないことに満足し、上を見ようとしないこと」
などを指す。
ポリアンナ症候群 - Wikipediaより

 ポリアンナとは、ハウス世界名作劇場で『愛少女ポリアンナ物語』としてアニメにもなった物語の主人公ポリアンナ(パレアナ)に由来しています。私はアニメの方は生憎と見たことがないのでよく分からないのですが、その原作である『少女パレアナ』(エレナ・ポーター/角川文庫)を読むことで、彼女のポジティブシンキングぶりを確認することができます。その物語の中で彼女が行なっているのは、”『なんでも喜ぶ』ゲーム”(アニメでは”よかった探し”)です。
 はじまりは松葉杖でした。パレアナが幼い子供だった頃お人形を欲しがっていたのに、彼女の元に送られてきたのは松葉杖でした。そのとき彼女は、自分が松葉杖を必要としない体であることに気が付いてそれを喜びへと変えました。

「鏡がなければソバカスもうつらないでいいし、窓からはあんなに美しい絵のすてきな景色が見えるし、あたしはすぐに喜ぶことをさがしだしたの。喜ぶことのほうを考えると、いやなほうは忘れてしまうのよ――お人形を欲しかったときのようにね」
(『少女パレアナ』p43より)

 パレアナのそんな生き方は、周囲の人たちを感化して喜びを広めていきます。その健気な姿を”ポリアンナ症候群”などと呼んでしまうことには正直ためらいがあります。ですが、分からないでもありません(苦笑)。
 ちなみに、パレアナが『なんでも喜ぶ』ゲームを始めたのは、牧師だった亡父の言葉がきっかけでした。

「お父さんは、いつでもそう言ってました。喜びの句なんて聖書にそういう名がついてるんじゃありませんよ。ですけど『主にありて喜べ』とか『大いに喜べ』とか『喜びて歌え』とかそんなのがたくさんあります――ほんとにたくさんありますわね。お父さんが特別いやな気持ちの時に数えましたらね、八百ありましたって」
(『少女パレアナ』p195)

 『何でも喜ぶ』ゲームの由来が聖書にあるのであれば、可符香がことあるごとに宗教に走ってしまうのも当然のことだといえるでしょうね(違)。

少女パレアナ (角川文庫クラシックス)

少女パレアナ (角川文庫クラシックス)

*1:「あれ?絶望先生は?」と思った方はカバーを外して裏表紙をご覧下さい。