物語を分析する
昨日の東浩紀『動物化するポストモダン2』書評に関連して、「物語」についての話を。
物語は変えられます。
物語は変えられません。
物語はやり直せます。
物語はやり直せません。
この4つの概念を提供するコンテンツごとにまとめたのが以下の表です。
1.物語は不可逆であり不可変である。
これに該当するのは小説、マンガ、アニメ、映画など受け手が「観賞する」コンテンツです。
作者の力によって物語が進められ、読者(あるいは視聴者)はその物語を変えることもやり直すことも出来ません。この「受け手が何も出来ない」という抑圧が、「物語を紡ぎだす」2次創作という衝動に繋がるのではないかと思います。
例えるなら、北海道から沖縄に行く際に定まったルートおよび方法で旅行するようなものです。
2.物語は可逆だが不可変である。
これに該当するのはコンシューマゲーム。主にRPGなど、プレイヤーが物語に参加するコンテンツです。主人公の死やフラグの立て忘れなどあった場合「リセット」すれば物語をやり直すことが出来ます(可逆)。しかしながら結末はひとつであり、結末自体を変更することは出来ません。(不可変)
例えるなら、北海道から沖縄まで旅行する際に 旅行するルートは変更できますし途中で何かあったときにやり直せるのですが、沖縄という目的地が変更できない、ということです。
3.物語は可変であるが不可逆である。
これに該当するのはTRPG、およびオンラインゲーム。
プレイヤーは「世界」を与えられ、「シナリオ」という物語を経験しますが、TRPGではサイコロの、オンラインゲームでは乱数のチカラによってシナリオの「結末」が変化します。(可変)そして、その結末に不満があろうとやり直すことは出来ません。(不可逆)
プレイヤーの立ち回りによって、囚われのお姫様を救出することも見殺しにすることも出来るわけです。
旅行の例えで言えば、北海道から出発したものの目的地を変更でき(あるいは外的要因により無理矢理変更され)るものの、その旅行自体はやりなおせない、ということでしょうか。(だんだんややこしくなってきた)
4.物語は可逆であり、可変である。
これに該当するのは格闘ゲーム、およびノベルゲームなどです。
例えばストリートファイターIIではキャラによって固有のエンディングがあります。クリアするまでやり直しは可能ですし(可逆)、リュウでクリアしたらリュウがベガを倒した結末に、エドモンド本田でクリアしたらエドモンド本田がベガを倒した結末になるわけです(可変)。ノベルゲームもそうですが、プレイヤーは複数の結末、複数の物語が同時に存在することを受容している状態です。
例えるなら、北海道から沖縄と韓国とオーストラリアに同時に旅行し、その旅行も不都合あった場合やりなおせる、という状態です。
この「背反する複数の物語が同時に存在していることを受容する」という下地が、2次創作など「小さな物語の創造、許容」という「受け手」の想像力に繋がっているのではないかと推測されます。
それぞれのコンテンツの立ち位置を把握し、「例外」を把握することで(例えば谷川流『学校を出よう!』は「可変な物語」「可逆な物語」を書いている、など)また違った見方が出来るのではないかと思います。
やや強引にまとめたところもありますので、ご意見ご指摘いただきたく。