東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』
ネガティブな感想になりますのでこの本を読んで感銘を受けた方は続きを読まないほうが吉。
前作『動物化するポストモダン』もかなり違和感があったのですが、この本を読んで理由がわかりました。
筆者は、前著からここまで一貫して、ポストモダンの分析のためにオタクの作品群を参照してきた。(p248)
つまり、前作も今作も、作者のスタンスは「ポストモダンという考え方を用いてオタク文化を分析する」のではなく、「オタク文化を引き合いにしてポストモダンを説明する」なのだと思います。
大塚英志は『物語消費論』で民俗学を用い「物語の消費」というオタク文化を語っていましたが、東浩紀は全く逆。
つまり、引き合いに出すマンガ、ゲームなどは自身の論を補強するために「作為的に」選ばれたコンテンツであり、社会学でたまにある「都合の良い調査結果を用いて無理矢理に論をすすめる」方法なのかなと思いました。
この社会学で「都合の良い調査結果を用いて無理矢理に論を進める」ということはパオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』という本が痛烈に皮肉りパロディ化しているので興味もたれた方はご一読をしていただきたいのですが、『反社会学講座』は「現在の社会学は社会学者が私憤のはけ口として、また彼らの都合のよい稼ぎ口として使われていること、そして、社会学を利用したセンセーショナルな報道の多くは理由なく社会不安をあおるものである、ということを主題とし、それら現在の社会学をパロディーとすることで批判した」本です(wikipediaより)。この考え方がそのまま本書『動物化するポストモダン2』にも当てはまるかと思います。
そう考えると前作、今作の「偏った」コンテンツのチョイスや、自身の考え方に合わない現行のムーブメントを切り捨てている(あるいはこじつけて内包しようとする)論法にも納得がいきます。
実際、「大きな物語の喪失と小さな物語の消費」を説きながら、那須きのこ、西尾維新などの『新伝奇』ブームについては「これらは大きな物語ではなく小さな物語なので自分の考え方と同じ」とよくわからない理屈で有耶無耶にしたり、物語の多様化を語る際にTRPGとTVゲームのRPGを同列に語ったりしています。
この2つは似ているようで全く異なります。考察はこちら。
●物語を分析する - 三軒茶屋 別館
東浩紀は「大きな物語が喪失し、2次創作などを含め小さな物語に分割され、消費される。物語そのものが変貌しつつある」という論旨ですが(極論)、フジモリはそうは思いません。2次創作などのキャラクタの「分離」は、キャラクタが「大きな物語」の中で動いているからこそ行なわれるのであり、物語不在ではキャラクタは存在し得ない(少なくとも小さな物語の対象にはならない)と思います。
まあ少なくとも作者のあとがきにあるとおり「新しい批評を開く(p335)」良い刺激になりましたのでその点では楽しめたかと。
オタク論、サブカル論というよりも「ツッコミ対象の社会学論」という位置づけがフジモリにとってはしっくり来る本でした。
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/16
- メディア: 新書
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