『さよならドビュッシー 前奏曲 要介護探偵の事件簿』(中山七里/宝島社文庫)

 タイトルのとおり、時間軸的に『さよならドビュッシー』の前日譚にあたる連作短編集です。安楽椅子探偵と呼ばれる形式がミステリにはあります。「椅子に座っている」という状態が部屋から出たり現場に赴いたりしない、ということを端的に表わしているからこその呼称だといえます。ですが、立ったり歩いたりができないからといって部屋にこもりっきりになってしまっては、今どきの超高齢化社会を生きていくことは難しいです。すなわち、安楽椅子探偵ならぬ車椅子探偵の登場は時代の要請によるものだといえます。
 車椅子探偵といえば、私的には真っ先にテレビドラマ「車椅子の弁護士・水島威」シリーズ(参考:車椅子の弁護士・水島威 - Wikipedia)が思い浮かんだりしますが、本書の場合には、老人かつ車椅子生活という探偵・玄太郎の役割はもとより、介護者として玄太郎の側に付き添うことによって必然的にワトソン役を務めることになるみち子の視点から主として物語が語られることで、利用者(被介護者)中心の介護とは何か?という問題提起が随所になされている介護ミステリである点も見逃すわけには行きません。なので、タイトルでは『さよならドビュッシー』の前日譚であることが強調されていますし、それはそれで間違いではないのですが、私としてはそれよりも「要介護探偵の事件簿」という部分を強調して本書をオススメしたいです。

要介護探偵の冒険

「こういう事件を俗に密室というらしいが、要は不動産にまつわる謎やろ? 不動産の謎を不動産屋が解いてなにが悪い?」
(本書p56より)

 タイトルの元ネタは『シャーロック・ホームズの冒険』。「要介護探偵の事件簿」というのが本書の売りですが、本作についてはそれよりも不動産屋の社長という職業的側面が大きな要素を占めていますのであしからず。とはいえ、一物四価(固定資産税評価、路線価、公示価格、実勢価格)といった四つの値段の説明から始まる不動産ミステリとしての読み応えはなかなかです。また、『さよならドビュッシー』では脇役だった玄太郎とみち子の性格と関係を読者に説明する「顔見せ」としても本作は十分すぎる役割を果たしています。

要介護探偵の生還

 タイトルの元ネタは『シャーロック・ホームズの生還』。玄太郎脳梗塞による下半身不随で車椅子生活になった経緯と、みち子が介護者となるまでと、リハビリによって徐々に身体的機能を取り戻していく過程が描かれています。まさに物語だからこその奇跡的な回復振りがのびのびとした筆致で描かれているだめに、このまま「玄太郎のリハビリ物語」として終わるのかと思いきや、じつはミステリとしての事件も進行しています。”「この病状の患者が一朝一夕に回復せんことはご承知でしょうに」(本書p113より)”という原則と現実がおざなりにされていないことを評価すると同時に強調しておきたいです。

要介護探偵の快走

 タイトルの元ネタは『シャーロック・ホームズの回想』。車椅子レースが作中における一大イベントであることからの「快走」ですが、一方で「回想」に置き換えることもできる意味深なタイトルです。車椅子レースという手に汗握るアクションの裏で高齢化社会ならではの社会問題が結び付けられている巧みな作品です。

要介護探偵と四つの署名

 タイトルの元ネタはシャーロック・ホームズ長編『四つの署名』。銀行のATMを利用しようとしていた玄太郎が銀行強盗に巻き込まれるという事件ですが、銀行強盗の計画の中に原発停止に伴う「計画停電」が組み込まれているのが今どきの作品だといえます。強盗犯人たちと玄太郎とのやりとりは、まさに年の功が生きる展開です。月並みといえば月並みですが、銀行強盗を行うに至った少年たちの短絡的な考え方を否定するための正論として説得力があります。

要介護探偵最後の挨拶

 タイトルの元ネタは『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』。前4作までは介護者である綴喜みち子が語り手を務めてきましたが、本作では玄太郎が語り手を務めています。それによって語られるのは玄太郎の内面と、そして『さよならドビュッシー』以降の探偵役である岬洋介への探偵役の交代劇です。『さよならドビュッシー』への前日譚にして前奏曲としての位置づけが明らかとなる本作は、まさに「最後の挨拶」と銘打つに相応しいです。
 ミステリとしてのエンタメ性を損なうことなく社会派としての面白さも兼ね備えた傑作集です。オススメです。
【関連】『さよならドビュッシー』(中山七里/宝島社文庫) - 三軒茶屋 別館