『オブ・ザ・ベースボール』(円城塔/文春文庫)

オブ・ザ・ベースボール (文春文庫)

オブ・ザ・ベースボール (文春文庫)

 本書には、「オブ・ザ・ベースボール」と「つぎの著者につづく」の2作品が収録されています。

オブ・ザ・ベースボール

 第104回文學界新人賞受賞作品です。ほぼ1年に1度、空から人が降ってくる町・ファウルズに流れ着いた男は、ユニフォームとバットを身につけてレスキュー・チームの一員として日々を暮らすことになる。そんな意味不明なあらすじです。
 主にライトノベルなどで用いられている物語の導入的手法に「落ちもの(落ちもの - Wikipedia)」と呼ばれるものがあります。本作の場合には落ちてきた異性と一緒に暮らしたり仲良くなったりということはありませんが、主体性のない主人公を動かすための動機付けとしては機能しています。なぜ人が空から降ってくるのか、落ちてくる人に何らかの共通性や関係性はあるのか、といった点について様々な学者による様々な学説が唱えられますが、果たして正解があるのか否か、何となくファウルズに流れ着いてレスキュー・チームの一員となった男に分かるはずもありません。
 そもそも、レスキューなのにバットを装備しているというのがおかしいです。バットはヒットを打つためのものであってヒトを打つためのものではありません(←上手いこと言ったつもり)。エスカリボルグじゃあるまいし……(撲殺天使ドクロちゃん - Wikipedia)。とはいえ、不条理さでいえば似たり寄ったりかもしれません。わけが分からないながらも短い章立てと軽妙な文章はついつい読まされてしまうだけの奇妙な魅力があります。

つぎの著者につづく

 一転して章による区切りもなくダラダラとした思考ダダ漏れの文体で語られる本作は、自己内検索とでもいうべき知の袋小路です。本作の語り手である「私」は、自らの著作についてある批評家から「R氏」なる人物の著作との類似性を指摘されます。ところが「私」は、「R氏」なる人物の著作をまったく読んだことがなくて……。といったお話です。
 「無限の猿定理(無限の猿定理 - Wikipedia)」の疑似体験といえるかどうかは分かりませんが、例えば将棋の対局で、下手なりにあれこれ悩みながら指し続けていたら、局後の感想戦で「ここまで定跡だよね」といわれて唖然とすることがあります。とはいえ、それは無力感だけではなくて、自分の頭で定跡をトレースすることができたという充実感もあります。とはいえ、勝負事ならともかく、独創性が尊ばれる創作において著作をそのままトレースするわけにもいきません。しかしながら、同じことを考える人が過去にも、そして未来にもきっといるはずというイメージは共感できます。袋小路であるはずなのに、他の著者と著作とリンクしているイメージ。そして、次の著者へとリンクしていくイメージ。圧巻は末尾の注釈のボリュームです。文学における模倣と独創性の問題が実験的メタフィクションの手法によって描き出されています。ろくに理解できていないにも関わらず面白いといわざるを得ない作品です。悔しい!でも(ry