『ベイビー、グッドモーニング』(河野裕/角川スニーカー文庫)

「もし私が魂を回収していなくても。もしこの世界に、魂をリサイクルするようなルールがなかったとしても、同じようなものです」
(本書p305より)

 ミニスカートに白いTシャツを着ている少女の姿をした死神。月ごとに集める魂の数のノルマが決まっているという彼女は、ペットボトルのリサイクルのように、魂の綺麗なところだけを集めるために、死が迫った人間に死を告知する。濁った魂を綺麗にするために。そして、その人間に、死について考えさせるために。そんな死神と濁った魂との、四つの物語。それが本書です。
 本書の死神の設定的に、『死神くん』(えんどコイチ集英社文庫)を想起されるかたも多いかと思われます。『死神くん』の死神(413号)は、死期がまだまだ先であるにもかかわらず自殺しようとしている人間を思い留めたり、あるいは死期が迫った人間に対して悔いや未練が残らないようにするためにその姿を現して死期を宣告します。一方、本書では、「濁った魂を綺麗にするため」という設定になっています。それは、悔いや未練とは似て非なるものです。こうした細かい工夫がとても面白く感じられます。

A life-size lie

 死神の鎌って「Death-size」かと思ってたら、調べてみたら「Death-scythe」なんですね。てっきり、死神の鎌=死のサイズとは上手いこといったもんだと思ってたのですが(苦笑)。幼い頃から病を患い病院のベッドで暮らす少年。そんな少年が三日後の死を宣告されて直面する問題は、いつもお見舞いにきてくれている幼なじみの少女といかに別れるか、です。月並みですが、死について考えるということは、生について考えることと同じなのだと思います。

ジョニー・トーカーの『僕が死ぬ本』

 ”小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います”とは北村薫の言葉ですが*1、だとすれば、「本の中で、死んでしまいたかった」という本作の主人公はそれを著作『僕が死ぬ本』によって自覚的に実現したといえるのでしょうか。死神に死を宣告されたとき、その作家は理想の小説を求め、理想の文章を求め、その結果、小説を書けずにいます。前向きなようで後ろ向きな姿勢から、後ろ向きなようで前向きな姿勢への転換と、断絶。メタ読みですが、作者の決意みたいなものを感じる作品です。

八月の雨が降らない場所

 「世界平和は人類の夢ですよ」(本書p166より)。とはいえ、月並みな表現ですが、人の夢と書いて儚い、とはよく言ったものだと思います。ネズミ講こと無限連鎖講の理論によって、生涯をかけて二人の「良い人」を会員にすれば、わずか32回目で世界の総人口を「良い人」にすることができる。そんな無茶苦茶な理論によって、もうすぐ死ぬ男は、死なないでもいいのに死のうとしている女を救おうとします。男と女とふたりの視点から語られる、ドラマチックなサスペンスです。

クラウン、泣かないで

 「A life-size lie」の後日譚にして、クラウンとピエロの違いについてあれこれ考えさせられるお話です。人を笑わせるのは泣かせるのよりも難しい、とはよくいわれますが、死神の物語の最後を飾るに相応しいお話だといえます。 
 四つの物語の最後の最後で、本書のタイトルの意味が明らかとなります。死を描きながら未来をも描く、実に巧みな構成だといえます。あとがきにもありますが、やはり本書は”死ぬことに関する物語というよりは生きることに関する物語”(本書p318より)です。オススメです。
【関連】http://sneakerbunko.jp/novel_data/198574630025/_SWF_Window.html(本書あとがきにて”順番はどちらでもいいけれど、個人的には本書を読んでからの方が楽しめるかなーと思っています。”と紹介されている作品です。死神に焦点が当てられているお話です。)

死神くん 1 (集英社文庫(コミック版))

死神くん 1 (集英社文庫(コミック版))

*1:単行本版『空飛ぶ馬』(北村薫東京創元社)の著者の言葉より。