『どろんころんど』(北野勇作/福音館書店)

どろんころんど (ボクラノSFシリーズ)

どろんころんど (ボクラノSFシリーズ)

 感情とか意志といったものは、そんなに特別なものなのだろうか。人間の感情とか意志というものも、結局は脳のプログラムをなぞっているだけのことなのではないか。貯め込んだいろんな文章やパターンをある規則に基づいて組み合わせることで脳の中に構成されたシナリオを演じているだけなのではないか。いや、むしろ、そんなふうに何かを真似たりなぞったりできるということこそが、感情があり意志があるということなのではないか。
(本書p65より)

 福音館書店より刊行されている「ボクラノSFシリーズ」の一冊です。”ちょっと背伸びをしてみたい多感な十代に、「発想の玉手箱」のような、読み応えたっぷりのSF作品を贈ります。”というコンセプトのもとに中学生をターゲットにしたシリーズです。なかなか面白い試みだと思うのですが、2010年8月に刊行された本書を最後に残念ながら続刊が出ておりません。
 アンドロイドの少女アリスが休止モードから目覚めると、外は一面の泥ばかりで大勢いたはずのヒトは姿を消していた。観客にショーを見せるために作られたアリスは、模造亀(レプリカメ)万年1号と泥人形ヒトデナシと共に観客を求めて外の世界を旅することにしたが……。といったお話です。
 512ページというボリュームですが、52のパラグラフからなる構成なので、無理なく飽きることもなく読み続けることができます。平易な単語や文章によって物語はつづられていますし、ときに挿絵とテキストとが絡み合った不思議な表現手法が程よいアクセントになっています。「本を読む」喜びを堪能するのにもってこいの一冊だといえます。
 泥の世界とアイデンティティーの問題といえば、スワンプマンの思考実験(スワンプマン - Wikipedia)を連想します。見渡す限り泥の世界にあって、ヒトの世界を元通りに再現しようとしているヒトデナシたち。そんなヒトデナシたちが作り出すヒトの世界のようなものは、アリスの記憶に残っている世界とはかなり違います。そんな不思議な国を旅するうちに、アンドロイドであるアリスの思考が少しずつ変化していきます。泥の世界という設定によって、私たちが知っている日常的なヒトの世界が異化されています。そんな不思議じゃない世界を不思議に思って旅することで、世界だけでなく自らについても知覚して変化のための一歩を踏み出す。それはまさに10代のためのSFです。少々ネタバレになりますが、最後に明らかとなるオチが『ソラリス』(スタニスワフ・レム国書刊行会)を連想させるのも個人的には高ポイントです。中学生のみならず多くのSF読み、本読みにオススメしたい一冊です。
【参考】北野勇作&鈴木志保『どろんころんど』: 21世紀、SF評論