『ミステリー通り商店街』(室積光/中公文庫)

 人気作家の三井大和が突然姿を消した。彼が読んだというネットのブログには、彼の作品を酷評する記事が書かれていた。彼の行方を探す元編集者の鳥越は、ブログ主が住む地方を訪れる。そこは寂れた商店街をミステリーによって再興しようと目論む「ミステリー通り商店街」だった。作家失踪事件を知った商店街の住人は次々と勝手な推理を披露していくが……。といったお話です。
 本書は、ミステリというよりもミステリ周辺を題材にしたお話です。タイトルにもある「ミステリー商店街」というアイデアに目がいきますが、まずは作家と編集者の関係、あるいは作家と読者(批評家)の関係についてのあれこれが印象に残ります。

「作家をマラソンランナーに譬えると、一般読者は沿道で旗を振って応援してくれる観客だ。一瞬目の前を過ぎるランナーに『頑張れ!』と声援を送ってくれる。たくさんのその声が重なって、ランナーに走り続ける勇気を与えてくれる。編集者は給水ポイントで飲み物を渡してくれたり、観客の整理をしてくれる競技役員だ。問題は、その観客の後ろを自転車で走ったりして中継のテレビに映ろうとする奴がいるだろう。人の迷惑も考えずに。ああいう連中が批評家だ。人の努力に便乗して自分が目立とうとする。それで口だけでも『頑張れ』と言ってりゃ可愛げもあるが、中には見当はずれの批判だけしてすませる奴もいる。最低だよ。最近は職業的批評家だけじゃなく、インターネットの発達で素人批評家が増えているいやな世の中になったと思うね」
(本書p28より)

 サーセンwwwwwwww
 とはいえ、その後すぐに”編集者の立場からすると、少々悪い批評があっても売れたらいい本で、どんなに褒められても売れなかったら駄目である。”(本書p29より)とあるように、ネット上の批評や感想へのスタンスというのはそんなに単純なものではありません。ただ、こうした記述に期せずして出会いますと、単なる趣味として好き勝手に続けている書評ブログではありますが身の引き締まる思いがします。
 鳥越が「ミステリー商店街」を訪れてからは、彼自身が「できの悪い2時間ドラマ」と自嘲しているような展開が続きます。素人が適当な推理を並べ立て、なかには悪意のある噂を吹聴する人物まで現れたりして、実りのない展開が続きます。寂れた商店街の描写は既視感ありまくりで身に詰まされます。それだけに、「ミステリー商店街」というアイデア自体には惹かれるものがあります。作中では、JRにミステリートレインの終着駅にする企画を立ててもらったり、ミステリー同人誌を出したりといった活動をしたりしています。ただ、ミステリというのは根本的に人の死が前提の不謹慎なもので、その不謹慎さが商店街の雰囲気に影響を及ぼしているように鳥越は感じます。果たしてこの街に「ミステリー商店街」は必要なのか? 温泉につかったり景色を眺めたりしながら鳥越は考えます。内向きであるべきか外向きであるべきかといった、商店街のみならずミステリというジャンルのあり方についても言及されています。商店街の住人たちの推理が基本的に残念なのがションボリですが、全体的に残念な雰囲気だからこその余韻があります。いろんな意味で身に詰まされた一冊です……。
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