『ミステリ文学』(アンドレ・ヴァノンシニ/文庫クセジュ)

ミステリ文学 (文庫クセジュ965)

ミステリ文学 (文庫クセジュ965)

 どこがどうとか具体的に表現することができなくてもどかしいのですが、フランスのミステリを読んでると「なんか変だなぁ……」と思うことがしばしばあります。「所変われば品変わる」という言葉もあるように、ひと言でミステリといってもその国ならではの個性があって当然でしょうし、フランスの人が日本のミステリを読めば、やはり「なんか変だなぁ……」とおそらく思っていることでしょう。それはそうなのですが、それでもフランス・ミステリを読んだときの小骨が喉に刺さったような違和感が気になって気になって仕方がなくて、そこで目に付いたのが本書です。
 本書はフランス文学を専門としている著者がミステリを文学の一ジャンルとして認識した上でその特徴や代表的な作品・作家について論述している本です。作品と作家の紹介にかなりの紙数が割かれていますので、論考集として過度な期待をされると残念な読後感になるかもしれませんのであしからず。
 作品・作家紹介については、フランスの代表的なミステリ作家であるシムノンについての記述が多くて、それは至極当然のことではありますが、それ以外の作家については英米を始めドイツ・イタリア・スペイン・スウェーデンなどの作品・作家も多数紹介されています。広く浅くというのは否めませんが、西欧ミステリのガイドブックとして便利な一冊といえるでしょう。
 論考としては、まずミステリという名称についての記述が面白いです。そもそも、フランスでミステリのことをミステリというはずもなく、日本にしても探偵小説とか推理小説とかミステリーとかミステリィといった表記も散見される中で、ではフランスではどうなのかといえば……。

 それを表示する名称からして一様ではない、あるジャンルの基本的な形態を明確に言い表すのは困難だろう。犯罪小説、探偵小説、ロマン・ポリシエといった呼び名のなかで、フランス語圏では最後のものが最もよく用いられている。それゆえ、以下で言及されるあらゆる虚構テクストを指示するために、ロマン・ポリシエという呼称を使用することにする。
(本書p15より)

フランスでもやはり同じようなことが問題になってるんだなぁと思うとなんだか嬉しくなります(笑)。そして、ロマン・ポリシエを大概念としつつ、それをさらに本書では「謎解き」「ノワール」「サスペンス」の3つの区分にそれぞれの作品を分類することによって紹介と内容の分析がなされています。なかなか興味深い分析の視点だと思います。

 現在、ミステリがみずからその指向領域としている危機的な状況にたいして、ミステリがきわめて不十分な解決策しか提供できないとしても、なんら驚くにはあたらない。間テクスト的考古学を巧みに援用することによって、またかつて大成功をおさめた演繹的推理小説をいわば皮肉を込めて喚起することによって、ミステリは叙述能力の欠如を好んで露呈することすらあるのだ。
(本書p14〜15より)

 読み手も書き手も叙述能力の欠如に自覚的だからこそ、そこに叙述トリックの入り込む間隙が生まれる、ということなのだと思います。叙述トリック=ミステリではありませんし、ミステリ読みや書き手の中には無意味な叙述トリックや安易な叙述トリック、ひいては叙述トリックそのものに反対を表明している人もいます。そうした背景には、叙述能力の欠如に対する開き直りのようなものを感じるからかもしれないと思ったりしました。
 この他にも、ポーやドイルやクリスティ、クイーンなどの代表的な作家について、ときにヴァン・ダインの二十則を引き合いに出しつつその根拠の論証や反証を行ったりといった論述がなされています。
 で、フランス・ミステリが何ゆえどこか変なように思えるのかという点なのですが……、結局分かりませんでした(苦笑)。いやいや、だって、本書の論述は確かにテクニカル・タームの頻発が少々鼻につきますしネタバレにも躊躇がありませんが、それでも、二十則が紹介されていることからも察せられるように、内容自体は実に手堅くて好感の持てる論考です。なので、逆によく分からなくなってきました。
 ただ、牽強付会ながらも自説を述べてみますと、おそらくですが、英米法と大陸法の違いがあるように思われます。すなわち、立法府・行政府・司法府の三権について、英米法は立法府への不信が強いのに対し、大陸法は司法府への不信が強いという比較がなされます。この違いが、ミステリにおいてもときに表出されているように思うのです。

 ロマン・ポリシエというジャンルが始まって以来、公的な立場から犯罪を解明し処罰する仕事をおこなう人間は、ずっとさらし者の役割を演じてきた。デュパンやホームズやポアロをはじめ、ほとんどすべての天才的な探偵たちは、警察関係者たちがむやみに騒ぎたてるさまを、軽蔑をふくんだ鷹揚な態度で見守ってきた。私立探偵たちにしても、警察組織の人間が堕落し知性を欠いていることからして、彼らに事件を解決する能力があるとは思っていなかった。精鋭グループに属するベテラン警官たちが、フリーランスのライバルに少しもひけをとらないことを証明するためには、二十世紀の半ばまで待たねばならなかったのである。
(本書p80より)

 もちろん、こうした司法府への不信は、英米ミステリや日本のミステリにも見られる傾向です。なので、やはりフランス・ミステリ特有の傾向ということはできません。できないのですが、さすがに「さらし者」と言っちゃうのは私にはできなくて、その辺の意識の違いが根底にあるのではないかと……やっぱり苦しいですか(自嘲)。
 付録(「S・S・ヴァン・ダイン『探偵小説作法二十則』」)と訳者あとがき込みで全142ページというコンパクトさに見合わぬ濃い内容の一冊です。興味のある方は是非。