『アイドライジング!』(広沢サカキ/電撃文庫)

アイドライジング! (電撃文庫)

アイドライジング! (電撃文庫)

「みなさんこんばんは、アイドライジングアナウンサーのミツキ・マリノです! アイドル、それは偶像。アイドル、それは少女の憧れ。アイドル、そしてそれはっ! この世で最も輝ける少女たちに与えられる称号!! 期待と栄光、羨望と嫉妬を少女はその小さな背中に浴びながら、この大観衆の目の前で笑うのです!! その笑顔、一度目にすれば釘付け、二度目にすれば虜、三度目にすれば中毒になると言われております! みなさん、ご注意を。きっともう手遅れだとは思いますが。さあ、今夜もアイドライジングスタートです!!」
(本書p234〜235より)

 第17回電撃小説大賞金賞受賞作品。
 アイドライジング――それは、”すごい技術で作られたバトルドレスを着て戦うイベントで、ものすごく人気があって、そしてそれが同時にバトルドレスを作った会社の広告になってる”(本書p103より)一大エンターテインメントのことです。とある事情でお金が必要になった高校一年生のアイザワ・モモは、すぐにお金が手に入るという理由だけでアイドライジングの新人オーディションを受けようとするが、あれよあれよという間にデビューすることになり、アイドライジングの魅力に惹かれていく……といったお話です。
 かわいい女の子同士が戦うエンターテインメントと聞いてパッと思い浮かぶのがキャットファイトキャットファイト - Wikipedia)です。ただ、アイドライジングの場合には、バトルドレスという設定のおかげで、素人の女の子がいきなり参加することになっても素人以上の動きができます。素質があれば尚更です。また、”アクセルスマッシュ”を一発でも相手に当てれば勝ちという明確なルールと勝敗基準があるため、ドロドロした試合にはなりにくいです。結果、一撃必殺で勝負が決まるスリルと駆け引きとが楽しめるバトルものに仕上がっています。
 とはいえ、100%真剣勝負というわけでもなくて、大別すればガチ派とエンターテインメント派のアイドルがいます。基本、アイドルである以上、”魅せる”ことが求められるのは当然です。一方で、アイドライジングの勝敗はアイドルのランキングに大きく関係します。”魅せて勝つ”のが理想ではありますが、アプローチとして、まずは魅せることから考えるか、それとも勝つことから考えるのかは両論あることでしょう。それに、両者はそんなに単純に分けられるものでもありません。そもそも、”魅せる”ためにはそれなりの実力が必要です。例えば、作中で自他ともに認めるエンターテインメント派として登場するタキ・ユウエンですが、彼女にしてもアイドライジングの戦闘技術はトップクラスです。また、ガチ派がエンタメ性とまったく無縁ということもありません。魅せる一手=意表を突く一手であるならば、ガチであることと魅せることは普通に両立します。ガチ派としてアイドライジングの頂点に君臨する女王エリーのバトルドレス・享楽天の特性(バトルドレスにはそれぞれ特性があります)が未来予知というのも、ガチ派でありながら結果を先に確定させるという矛盾が含まれていて面白いです。
 思うに、多くのファンを惹きつけるだけのストーリーが描かれて、その中の魅力的な登場人物でいられることが、『アイドライジング!』においてアイドルに求められている役割です。ガチ派とエンターテインメント派は、ストーリーテリングにおけるスタンスの違いだといえます。私は現実のアイドル事情にはとんと疎いのですが(汗)、例えばAKB48ではじゃんけんによって選抜メンバーを選ぶというイベントが行われています。このじゃんけんも、純然たる運任せで決められるメンバー選びのいったい何が面白いのか実は少々不思議に思ってました。ですが、ガチ派とエンタメ派の折衷点として、こうしたランダム策が考え出されたのだとすれば理解できなくもないです。いや、むしろすごいシステムだとすら思います。
 女の子同士の戦いで、しかも本書の場合にはプロデューサーも女性なので、少なくとも1巻の段階では恋愛要素は皆無です。いや、女の子同士のキャッキャウフフはあるので皆無といったら間違いに……なるのかな(?)。プロデューサーのサイとモモの掛け合いも面白いですが、個人的には、やはり単なる出オチキャラに成り下がることなくしぶとく力強くアイドルとしての地位を獲得しようとしているハセガワ・オリンのサイドが読んでて楽しいです。
 近未来におけるアイドル像を模索するという意味ではSF的な読み方もできますし、なかなかに興味深い作品です。
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