『マインド・イーター』(水見稜/創元SF文庫)

マインド・イーター[完全版] (創元SF文庫) (創元SF文庫)

マインド・イーター[完全版] (創元SF文庫) (創元SF文庫)

  ”滅ぶ”ことは、生物に植えつけられた最高レベルのプログラムなのだ。――”消滅する”ことと言ってもよい。我々は、あらゆる時間に終わりが来ることを知っている。生物個々の生も、その創り出すものも、すべての”相(フェイズ)”が――時間にともなう変化が、やがてレベル・プラスマイナス0になることを知っている。これは論理ではない。美の規範なのだ。みな言葉では、永遠なるもの、悠久なるものを願っても、”消えてしまう”ことの美しさの前には、そんなものはほとんど無に等しい。なぜなら、この美そのものが、生物の――あるいは生物を生み出した宇宙の――究極のテーマだったからだ。
(本書p171より)

 1982〜84年にかけて発表され、以前ハヤカワ文庫から刊行された『マインド・イーター』に未収録だった短編二編が収録された、《マインド・イーター》シリーズ完全版です。「野生の夢」「サック・フル・オブ・ドリームス」「夢の浅瀬」「おまえのしるし」「緑の記憶」「憎悪の谷」「リトル・ジニー」「迷宮」の全八編が発表順に収録されています。
 マインド・イーター(M・E)とは、人間に対し悪意を持つ鉱物的存在です。彼らは出会うものをすべて自分と同じものに変質させます。ゆえにM・Eに食われたものは結晶化します。M・Eに精神を食いちぎられた者の人格は崩壊していきます。気が変になって、肉体から精神が遊離していく……。そうしたM・E症と呼ばれる恐ろしい症状には、さらに精神触(エクリプス)と呼ばれる二次感染症があります。それは、M・E症の一次発症者と精神的に結びつきの強かった者にもM・E症が発症するという感染経路すら不明の災厄です。
 『マインド・イーター』は、一貫した強いテーマ性を感じさせる物語でありながら、一方で多様な読み方を許容する物語でもあります。それは優れたSFが有する特性です。M・E症の二次感染性から浮かび上がってくるテーマのひとつとして、異なる存在と”コンタクト”することに対するリスクがあります。すなわち、他人とつながることの恐怖と、それでも他者とつながることを希求せざるを得ない人間の性が描かれています。その先には希望があったり絶望があったりしますが、いずれにしてもそれは結末を迎えるという意味で、本書においては全面的に肯定されるべきものです。
 「敵を知り己を知れば百戦危うからず」といいますが、敵を知ること自体に自己が変質する可能性、アイデンティテイ消失のリスクがあります。そうしたクトゥルフ神話の如き恐怖が描かれているのが言語学をガジェットとした「おまえのしるし」です。本書はコズミックホラーと謳っても過言ではないだけのスケールと無常さを湛えてはいますが、それでも、クトゥルフ神話ほど恐怖を描くことに軸足が置かれてはいません。それは、死というものが消滅の美を考える上であくまでパターンのひとつに過ぎないからでしょう。
 「サック・フル・オブ・ドリームス」「夢の浅瀬」では、ともに音楽がガジェットとなっています。彼らはときに人間の一生を音楽に例えますが、しかし、個々の一生というものは音符のようなものではないかと、これらの作品を読んで思わずにはいられません。それぞれの作品における魅力的な登場人物を音符として扱うことで生み出されるひとつの物語という音楽。それはとても無慈悲にして豊潤で美しい音楽です。
 M・EとM・E症については最初の話「野生の夢」にてある程度の説明がなされます。生物の反対称性を崩壊させて対称化をもたらすとされているM・E症。それは畢竟、個体や種といったものを対称的に見つめなおすことにつながります。飛浩隆の巻末の解説でも指摘されていますが、M・EはMe(わたし)でもあることになります。Me(わたし)Me(わたし)Me(わたし)Me(わたし)……「あなたはそこにいますか?」*1
 シリーズは物語を重ねていくにつれて様々な思考実験がなされていきます。「緑の記憶」では植物との関係が問われ、「憎悪の谷」では終末期のスクリーミングと重ねながら人類とM・Eとの関係における意外な事実が明らかとされます。そんなフラスコを覗いているかのごとき平穏は、「リトル・ジニー」にて一挙に崩れ去ります。そしてたどり着くのが「迷宮」です。それは、物語が終わりという出口から再び迷宮への入り口へと読者を誘います。本書の掉尾を飾るに相応しいお話です。
 巻末の作者あとがきによれば、『マインド・イーター』は旅をするお話、自分の内宇宙へと旅をするお話です(本書p484参照)。ときに叙情的に、ときに叙事的に語られる内宇宙への旅は、想像力を否応なくかきたてます。文系本格SF傑作として語り継がれるべき記念碑的作品だといえるでしょう。オススメです。

*1:TVアニメ『蒼穹のファフナー』より。結晶化という現象とあわせて、本書がファフナーのモチーフのひとつであることは間違いないでしょう。