『灼熱の小早川さん』(田中ロミオ/ガガガ文庫)

灼熱の小早川さん (ガガガ文庫)

灼熱の小早川さん (ガガガ文庫)

 県下でも有数の進学校に入学し、人間関係も勉強もスポーツもそつなくこなせる飯嶋直幸。かつては厳しい生活指導で知られていた高校であったが、指導の厳しさがネットで知られ保護者(モンペ)からの苦情もあって、そうした指導は有名無実化。自由で気ままな学校生活を満喫できるはず……と思っていた矢先、遅れて現れた同級生・小早川千尋の登場によってクラスの雰囲気は一変する。彼女の手に”炎の剣”が握られているのを見た直幸は、その日から小早川千尋に興味を持って観察を始めることにするが……といったお話です。
 本書の物語をどのように言い表すべきかいろいろ考えたのですが、思うに、”ラノベ版「中学生日記」”とでも呼ぶのがどうやら適切なのではないか、という結論に至りました。いや、本書の舞台は中学校ではなくて高校です。おまけに、「中学生日記」自体、2012年3月に最終回を迎えることが決まっている番組です。ですが、番組自体が終わりになるとしても、そこでテーマとなっていた友人関係やら恋愛関係やら性の問題やらいじめやら部活動やら勉学やら校則やら進学やらクラス活動やら生徒会活動といったテーマが、こっ恥ずかしい言葉と演技によって語られる「中学生日記」の存在意義自体には、普遍性があるように思うのです。
 本書は、ラノベというパッケージングと、観察者であらんとする直幸の視点や語りによって、こっ恥ずかしさがかなり中和されています。ですが、そうした中和成分を取っ払ってみれば、本書はやはり「中学生日記」だと思うのです。
 何事も始めが肝心、というのは人間関係上の心理にして真理でしょう。ましてや高校一年生ともなれば尚更です。万事において器用にそつなくこなすことができる直幸にとって、それはもっとも得意にして重要なことです。彼が採った戦略は”読む”という基本にして凡庸なものです。本書の場合には、ブログを”読む”という今どきな要素まで追加されています。人間関係は間違いなく情報戦です。相手の性格と意図を読んで、間合いを図って、人間関係図における安全地帯に自らを置く。それは、ちょっと目端が利く人間であれば理解できる発想でしょう。ただ、そんな風に誰もが”読む”ことに徹してしまいますと、”読まれる”側に立つ人間が誰もいないことになってしまいます。その結果、集団における個々人の意思がはっきりしないまま集団力学といったものが生じ、そこから同調圧力や集団浅慮といったものもまた生じることになる……。つまりは空気の読み合いによる不毛な均衡状態。”空気を読む”というときの”空気”とは、特に本書の場合には、そういったものだといえるでしょう。
 直幸が所属する1Bは、突出した問題児がいるわけではないのに、クラスとしては一年生でもっとも扱いづらく評判の悪いクラスとなってしまっています。そんな中にあって一人気を吐く小早川千尋。先生へのチクリや生活指導を復活させるといった”暴走”を止めるためのスパイとして裏クラス会議で選ばれた直幸は、クラス副代表として彼女に近づかざるを得なくなります。彼女の行動とブログを観察しながら彼女と一緒に行動するうちに、直幸はいつしか変わっていきます。それによってクラスとも小早川さんとも気まずくなったり軋轢を生じたりするわけですが、それこそまさに青春です。自らの根を闇属性と自覚する直幸による語りゆえの悪趣味な視点やシニカルなユーモアがあって、だからこそ、滲み出てくる熱量が真に迫ります。迫りますが、まさか直幸のそうした心境の変化にストーリー展開まで素直についてくるとは思いませんでした。なんというか、バッドエンドじゃないからこその後味の悪さというか居心地の悪さとでもいいましょうか、そんな独特の読み味が堪能できます。裏の裏は表という意味で、清く正しい青少年向けの物語です。