『なまづま』(堀井拓馬/角川ホラー文庫)

なまづま (角川ホラー文庫)

なまづま (角川ホラー文庫)

 第18回日本ホラー小説大賞長編賞受賞作品です。
 腐敗臭とも生臭さともいうべき独特の激臭を放つ粘液に覆われた醜悪な生物ヌメリヒトモドキが街中に跋扈している時代。ヌメリヒトモドキの研究をしている私は、それが特定個人の記憶や感情を習得することができるを知る。私は、二年前に亡くなった最愛の妻を蘇らせるために、密かにヌメリヒトモドキの飼育を始めることにするが……といったお話です。
 死んでしまった最愛の恋人を蘇らせる、というのはそれほど珍しいお話ではありません。そうしたストーリーをクローンを題材すればSFになるでしょうし、ホムンクルスならファンタジーになるでしょう。そうした既存の存在ではなく、ヌメリヒトモドキという荒唐無稽ながらも独自の存在を用いたことによって、本書はホラーとしてのおどろおどろしさを描き出すことに成功しています。
 本書は、日記と記憶の記述という、少々変わった形式で描かれています。私という一人称視点からの単純な語りではなく、読み手の存在が明確に意識されています。はたして私はどの時点においてこの記述を書いているのか。どのような読者を想定しているのか。といった私の意図は、物語の最後に明らかになりますが、なかなか不気味ながらも興味深い展開を見せてくれています。
 亡き妻への思いに囚われている私。妻を亡くしてから惰性のままヌメリヒトモドキの研究を規則正しく毎日毎日続けている私の日常生活は、とても狭くて空虚で、しかしながら堅牢です。そんな私が、ヌメリヒトモドキが特定の個人へと進化する可能性があることを知ってから、私は妻を蘇らせることへの妄執に囚われます。最初は、ヌメリヒトモドキを飼育するという生理的な嫌悪感が描かれています。亡き妻の髪(!)を餌として与え、亡き妻の情報や亡き妻との思い出をヌメリヒトモドキに語る日々。それは、私自身も自覚しているように、とても醜悪で不快な日々です。しかしそれも、私が飼育しているヌメリヒトモドキが徐々に妻へと近づき進化していくことによって、少なくとも私にとっては、そうした嫌悪感は和らいでいきます。
 それだけであれば、困難にくじけず亡き妻を蘇らせようとする喪男の純愛ストーリーだといえます。ですが、本書はホラー小説大賞に送られてくるような作品です。そんなに甘いお話なはずがありません。記述が進むうちに、純愛に代わって私のエゴが徐々に滲み出てきます。それは、かつて実際に生きていた妻と、亡くなった妻を思うあまり私が思い描いてきた美しくて楽しい生活を営んできた妻のイメージとのギャップです。あるいは、非人間的な存在のなかに人間性を求めてしまったがゆえに浮き彫りにならざるを得ない人間である私のなかにある非人間性とでもいうべきでしょうか。そうした身勝手なエゴが、やがて私の周囲にいる人間や、ひいては私自身を蝕んで生きます。そして、私が飼育してきた亡き妻に限りなく近くなりつつあるヌメリヒトモドキにも……。
 倫理や宗教や哲学や社会といった問題を端から無視して語られる私による私の記述は、ストーリーも文体も粘着質です。生産的でもなければ清算的でもない試みの果てに迎える結末は、裏表紙にあるように悲劇的なものかもしれません。ですが、救いでもあります。亡き妻への妄執を通じて、誰もが抱いている孤独という感情を恐怖や嫌悪といったホラー的な切り口から描いた作品だといえます。オススメです。