『時間はだれも待ってくれない』(高野史緒・編/東京創元社)
- 作者: 高野史緒
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2011/09/29
- メディア: 単行本
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個々の東欧の作品を読む楽しみもさることながら、まずはアンソロジーの方針そのものが面白いです。SFに比べればファンタチスカというのはジャンルとしてそれほど馴染みのない言葉です。いったいファンタチスカとは何なのか? 本書冒頭の高野史緒の序文「ツァーリとカイザーの狭間で――文化圏としての東欧」によれば、それはサイエンス・フィクションやファンタジー、歴史改変小説、幻想文学、ホラー等を包括したジャンル設定で、レムやエリアーデ、カフカ、チャペック、ブルーノ・シュルツ、パヴィチなどが具体的な作家の例として挙げられるとのことです。ジャンルとしてはかなり広い範囲を示す言葉ということになります。
そして、”東欧”という言葉の定義の問題もまた面白いです。この問題については沼野充義の解説「東欧の「幽霊」には足がある?――見えざる「もう一つのヨーロッパ」の幻想の正体を探る」において詳しく述べられています。ソ連という社会主義国家が健在だった頃、東欧とは、ソ連の「衛星国」としてソ連の支配下で社会主義体制を維持している、西欧とロシアの間の国々のことでした。それが、1989年のベルリンの壁の崩壊をきっかけに東欧の国々が次々と社会主義体制を捨てて民主主義体制・自由経済主義へと移行していきました。このように社会主義圏が崩壊した現在において、”東欧”という文化圏をいかに捉えればよいのかというのは非常に難しくも面白い問題です。おそらく政治学や歴史学や文学史など様々な切り口において定義は異なってくるように思われますが、他の異なる単語の定義論にも通じるような記述が随所に見られます。たとえば、「東欧」という言葉を「ライトノベル」に変えてみると互換性がかなりあって楽しいです(笑)。
収録作品は、オーストリアから遠い未来においてエイリアンや人工知性体にも人権が認められる中で教皇選出会議(コンクラーベ)が行われるカトリックSF「ハーベムス・パーパム(新教皇万歳)」(ヘルムート・W・モンマース/識名章吾訳)。ルーマニアから尊厳死が許されない未来で孤独な老後を生き続ける老人の姿を描いた「私と犬」(オナ・フランツ/住谷春也訳)とビジネスで成功した女性がアンドロイドの伴侶を選ぶことから始まる喜悲劇「女性成功者」(ロクサーナ・ブルンチェアヌ/住谷春也)。ベラルーシからチェルノブイリ原発事故後の汚染地域を舞台にどこまでも現実的な描写であるがゆえにSF的な世界観が生み出されている「ブリャハ」(アンドレイ・フェダレンカ/越野剛訳)。チェコから長編の第八章と第九章だけを抜粋するというアンソロジーにあるまじき所業(笑)が試みられている「もうひとつの街」(ミハル・アイヴァス/阿部賢一訳)。スロヴァキアから戦闘的平和主義団体が原発を攻撃対象にテロを行う「カウントダウン」(シチェファン・フスリツァ/木村英明訳)とスロヴァキアとハンガリーの紛争を背景に描いた「三つの色」(シチェファン・フスリツァ/木村英明訳)*1。ポーランドから万聖節に現在のワルシャワと重なる過去のワルシャワが現れる「時間はだれも待ってくれない」(ミハウ・ストゥドニャレク/小椋彩訳)。旧東ドイツから旧社会主義制度下の密告と検閲を現代にも通じるテーマとして描いた「労働者階級の手にあるインターネット」(アンゲラ&ハインツ・シュタインミュラー/西塔玲司訳)。ハンガリーから中国らしき国を舞台としたエキゾチズムが楽しめる「盛雲、庭園に隠れる者」(ダルヴァシ・ラースロー/鵜戸聡訳)。ラトヴィアから幻想的かつ重層的であるがゆえに真相がどこまでも相対的なものとして描かれている「アスコルディネーの愛―ダウガウ幻想―」(ヤースニー・エインフェルズ/黒沢歩訳)。セルビアから名門銀行の上流顧問が列車の一等アパートメントで神と出会うショートショートめいた寓話「列車」(ゾラン・ジヴコヴィッチ/山崎信一訳)。といったラインナップです。
一部例外はありますが、基本的には21世紀に書かれた作品を収録するという方針に沿って編まれています。東欧SF・ファンタチスカゆえに読者の多くが間違いなく興味を抱くであろう「今」をまず提示することを主眼としたための方針とのことですが、これは正しい選択でしょう。
本書全体を通しての印象としては、やはり沼野充義の解説でも述べられていますが、「幻想性」が際立っています。ファンタチスカというジャンル設定が好まれる理由がよく分かります。その裏返しとして、晦渋で分かりにくい作品が目につきます。また、結末がバッドエンド気味のものも多いです。そのため、分かりやすい面白さ・エンターテインメント性という観点からはいまいちかもしれません。東欧SF・ファンタチスカという馴染みのない文化圏の作品のアンソロジーという使命感から肩ひじ張った選択になってしまった感が否めません。もう少し脱力系の作品が2,3あれば読みやすかったと思うのですが、それは今後のさらなる作品紹介に期待するのが本筋ということになるのでしょう。支援の意味も込めてオススメです。
*1:目次では「三つの色」がp113からで「カウントダウン」がp130となっていますが、本文はこれとは逆の順番になっています。