『パーフェクトフレンド』(野崎まど/メディアワークス文庫)

パーフェクトフレンド (メディアワークス文庫 の 1-5)

パーフェクトフレンド (メディアワークス文庫 の 1-5)

 彼女にまつわる小さな物語が、世界を大きく揺るがすことは無い。彼女は東京都下の住みやすい街で、ごく普通の小学生として、小学生らしく生き、小学生らしい経験をして、小学生らしく成長していくだろう。これから語られるのはそんなとても小さな物語であって、もしかしたら本当は語る必要すらないことなのかもしれない。
 だがそれでもあえて、この物語に語るべき部分があるのだとしたら。
 それはこの一点に尽きるのだろう。

”友達とは、素晴らしいものである”

(本書p6より)

 友達とはいったい何なのか? どうすればできるのか?
 それは素朴にして深遠なる疑問です。そんなの考える必要もないという方もいれば、むしろ考えてはいけないという方もいるでしょうし、そもそもそんなこと考えてる時点で友達などできはしない、という気もしないでもないです。そういうわけで、本書では、考える能力がまだ未発達であろう小学四年生が主要人物となっています。なってはいるのですが、クラス委員長を務めている理桜はみんなよりも頭のよい子で担任の先生からも頼りにされています。そんな彼女が先生から学校に来るように声を掛けてみて欲しいと頼まれる不登校の少女「さなか」は、すでに大学レベルの勉強を終え《数学者》として身を立てている早熟の超絶天才少女です。
 学業的な意味において、さなかに学校に通う意味はありません。ですが、理桜たちとの出会いによって「友達」という概念に興味を持った彼女は理桜たちの学校に通うことにします。クラスの生徒たちを観察し社会とは何か、友達とは何かを知ろうとするさなかと、そんな彼女に振り回される理桜たちの物語です。
 物語の前半は、普通の小学四年生よりも少し頭がよくて頼りになる理桜の視点によって語られます。それは、普通の小学生である「ややや」*1や柊子*2と、超絶天才少女であるさなかとの間に立つ架け橋的なスタンスです。一方で、理桜はさなかともっともいいたい放題いえる間柄でありながらなかなかさなかと友達になろうとはしなくて、そんな二人の関係をニヤニヤしながら眺めるのが本書の面白さでもあります。
 常識人と得体の知れない者との交流、という意味において、理桜の視点から語られる天才少女さなかとの友達についての物語は、「いつもの野崎まど」とでもいうべき安定したお話だといえます。ところが、本書は途中で物語が大きく転換する出来事が生じます。そこから先で語られることになるのは、さなかが拠りどころとしている数学的で論理的な思考とは異なるものの見方からなる世界の存在です。世界が裏返ってもう一回裏返って表になって、そして最後に巡って冒頭につながる、といった感じのお話です。友達という”普通”を語るためのあまりに迂遠で大掛かりな仕掛けかもしれません。ですが、友達という”不思議”を語るための物語としては、決して無理なものでも無茶なものでもないでしょう。
 友情というミステリアスな関係について軽妙でコミカルでシニカルな語りながらも、なかなかにシリアスなところまで踏み込んでいる好著です。オススメです。

*1:そういう名前です。

*2:理桜にさなかにやややとくると、普通の名前がむしろ変に思えてきますね。