『ねじの回転』(ヘンリー・ジェイムズ/創元推理文庫)

「たしかにね――グリフィン君の幽霊にしろ――幽霊がいたいけな子供のところに最初にあらわれたっていうと、一味ちがう感じがするね。しかし、子供に関係のある素敵な幽霊話は、これが最初というわけじゃないよ。子供の出てくることが物語にねじの一ひねりを加えるとすると、子供が二人だったら、どうかね?」
「決まってるじゃないか」誰かが大声で言った。「子供二人なら二ひねりになる! その話ってのを聞きたいものだ」
(本書p9より)

 怪奇小説の古典的名作とされている本作「ねじの回転」ですが、忌憚のない感想をいわせていただくと「失敗作じゃね?」と思わずにはいられません。「徹頭徹尾、不気味な醜さと恐怖と苦しみに満ちているんだ」(本書p10より)といったように、前振りでこれ以上ないほどにハードルを上げて上げて語られる本作は、家庭教師が残した手記という体裁をとっています。それは、田舎牧師の末娘として生まれた彼女がロンドンに上京して家庭教師の職に就いたときのお話です。彼女が受け持つことになった幼い男の子と女の子。よい子のように思える二人が時折り見せる謎の行動。前任者の死。そして、不可解な現象。幽霊譚かと思いきや、心理的な要素のほうが興味の対象となっていきます。
 手記による間接的な語り、というのは怪奇小説にはよく用いられる手法ですが、本書の場合は語りというよりは騙りです。というのも、その描写があまりにも曖昧(巻末の訳者後書きの言葉を借りれば朦朧法)だからです。
 その結果、どれだけの恐怖が堪能できるのかと思いきや、読了後に残るのは不可解さと居心地の悪さです。あの前振りはいったい何だったのかと、疑問に思わずにはいられません。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉もあるとおり、怪奇現象というのはその正体が知れてしまえば他愛もないものとなってしまいます。そういう意味で、得体の知れない物語が得体の知れないまま終わる本作は、怖いといえば怖いのかもしれません。ですが、家庭教師がいったい何を見ていたのかすら分からないのでは、怖がりようがありません。
 というわけで、本作については内容を理解するための解釈が様々にあるようですが、それではミステリであればともかく、怪奇小説としてはやはり失敗なのではないかと思います。”奇妙な話”というのが妥当な評価ではないでしょうか。
 ちなみに、本書には表題作の他に「古衣装の物語」「幽霊貸家」「オーエン・ウィングレイヴ」「本当の正しい事」の短編4作が収録されています。「古衣装の物語」は典型的な怨念譚といえますが、お下がりという概念は海の向こうにもあるのかしら? 「幽霊貸家」は幽霊から賃料を取り立てている老人という不思議なシチュエーションの先に意外な真相が待ち構えています。「オーエン・ウィングレイヴ」は指導教師と優秀で見込みはあるものの師の教えとは別の道を進もうとしている生徒という構図からして「ねじの回転」にそこはかとなく通じるものがあります。「本当の正しい事」は伝記にまつわる伝奇です。
 単純な怪奇小説集というよりも、心霊主義や心霊現象といったものについて多面的な視点から楽しむことができる作品集です。