『ロコス亭 奇人たちの情景』(フェリペ・アルファウ/創元ライブラリ)

ロコス亭 (奇人たちの情景) (創元ライブラリ)

ロコス亭 (奇人たちの情景) (創元ライブラリ)

 ここに登場する面々は自分なりの人生と規範を創造しようとしているが、彼らが依然としてこのゲームの初心者だということは心にお留めおき願いたい。要するに、ここは鷹揚に構えて、奇人たちの群れや辻褄の合わぬ出来事の数々を、非難がましい眼差しはこの際忘れて、どうか見守ってやってほしい。深読みをしたり、ここに群れをなす操り人形の無責任な振舞いや作者の無節操ぶりに目くじら立てたりするのは得策と言いがたい。そんなことをしてとんでもなく的はずれな想像をふくらませようものなら、他愛ない狂態が繰り広げる多少なりとも愉快な喜劇の下から、俗悪さばかりが目につく通俗悲劇が顔をのぞかせることになるだろう。
(本書プロローグp12より)

 本書は短編集の体裁の作品集です。「体裁」というのはプロローグにて作者自身が、どこからでも好きな順で読んでくださって構いませんよ、と書いてるからで、つまりはそんな感じの飄々とした作品集です。
 収録作は、アイデンティティ」「作中人物」「物乞い」「指紋」「財布」「チネラートの人生」「ネクロフィル」「犬の物語」、そしてメアリー・マッカーシーによる解説「跋」に、訳者あとがきと風間賢二による解説といった内容となっています。
 「跋」によれば「ロコス」とは「狂人たち」を意味するとのことですが、本書はそんな「ロコス亭」に集まる奇妙な常連たちを主人公とした作品集です。とはいっても一筋縄ではいきません。なぜなら登場人物たちの役割も舞台設定もコロコロ変わっていくからです。そんな登場人物たちの暴走が本書の売りではあります。虚構の世界の住人が現実の人間に恋をする「作中人物」などはその最たる例だといえます。ただ、ラテンアメリカ文学系のメタ小説や筒井康隆などを読んでいる方にとってはそんなに刺激のある趣向だとはいえないでしょう。もっとも、本書が発表されたのは1936年ということですから、メタ小説の古典として楽しむことは十分できるでしょう。
 個人的には、そうしたメタな趣向とは関係ないレベルで本書は面白いと思います(1100円+税というお値段的に少々割高ですが)。アイデンティティ絶望先生の臼井くんのような人物がアイデンティティを獲得するために苦悩するお話。犯罪捜査においてアリバイよりも指紋理論を強く主張する男が迎える皮肉な結末を描く「指紋」。解説にて風間賢二が指摘しているように、登場人物の役割がコロコロと変わる本書では、「アイデンティティ」がひとつのテーマとなっていることは間違いないでしょう。そうしたテーマを特にハッキリと明示しているのが両作だといえます。「指紋」は犯罪小説、つまりはミステリとしても読めます。メタ小説はときにミステリとの相性のよさを発揮しますが、それはミステリが読者という外部の存在を意識した物語ジャンルであるのに加え、犯人というアイデンティティを登場人物のいずれかに特定するための物語だからだということがいえるでしょう。
 一番好きなのは「ネクロフィル」です。葬儀への参列を趣味とする女性のお話で、葬儀の情報を収集するために葬儀屋と仲良くなって、死相を見抜けるくらいに人の死に敏感です。そんな死を唯美的に愛する彼女の物語もまた、生と死と肉体をめぐるアイデンティティのお話です。
 「探偵小説のかたちを借りたモダニズム小説」(「跋」p291より)として読むも良し、ユーモア小説としても気楽に読むのも良しな一冊です。