『大正二十九年の乙女たち』(牧野修/メディアワークス文庫)

 日本が戦乱への道を歩みつつある大正二十九年。逢坂女子美術専門学校に通う四人の個性的な女学生、池田千種・星野逸子・犬飼華羊・緒方陽子。趣味も性格も能力もバラバラの四人にただひとつ共通していること、それは花嫁修業のための習い事ではなく本気で絵画に取り組んでいるということ。そんな四人の学校生活に影を落とす人さらいの怪物アルマスティ、そして戦争への足音。闇の深さを増していくなかにあって一瞬の輝きを放つ少女たちの物語、それが本書です。
 牧野修が書いたお話と聞くだけで珍妙なお話だろうなぁと想像される方もおられるかもしれません。ですが、確かにちょっと変なところはあるものの、本書は表紙折り返しの著者の言葉にもあるとおり、「今回はヘンテコなお話です。ヘンテコなお話ではありますが、少女たちの友情と冒険の熱い物語」です。ホントのホントに、少女たちの熱くて篤い友情物語です。
 恥を忍んでぶっちゃけますと、私は本書のタイトルを見てもなにも違和感を覚えませんでした(汗)。ですが、よくよく考えますと、大正時代は大正15年までしかなかったわけで(大正 - Wikipedia)、してみると、「大正二十九年」という本書のタイトルは奇妙なものだといわざるを得ません。つまり、本書は「もしも」の世界を描いた仮想時代物語であるといえます。
 思うに、「大正」は歴史上の転換点として未練が残る時代だと思います。「大正デモクラシー」という言葉に代表されるような安定期であり、民主主義・自由主義の発展を期待する運動が起こりました。しかしながら、日本の歴史はその後、軍国主義への動きを加速させ、ひいては太平洋戦争の勃発という事態を迎えます。そんな大正時代が、もしももっと続いていたらどうなっていたのか? そんな仮想時代的背景が本書にはありますが、そんな仮想設定にもかかわらす、本書における日本の動きは史実とそれほど変わるものではありません。それでは何故、本書は「大正二十九年」などという仮想設定を用いたのか。それは、本書に描かれているある題材と関係があるといえます。
 本書は四人の少女たちの冒険物語です。様々な個性を持った四人に共通するのは真剣に絵画に取り組んでいるということです。なので、彼女たちはそれぞれに自分たちの描きたい絵を追い求めます。ですが、軍国主義へとひた走る日本の世相が、彼女たちに自由な絵を描くことを許しません。そんな表現の自由とそれに対する規制との葛藤というテーマが本書では描かれています。それは東京都青少年の健全な育成に関する条例東京都青少年の健全な育成に関する条例 - Wikipedia)を思わせるタイムリーなテーマであるといえます。ですが、こうした愚かな規制が現実に繰り返されてよいはずがない、そんな皮肉な考えが、本書の仮想設定には込められているように思います。
 とはいえ、本書はまずは少女たちの冒険物語であり友情物語です。自らの絵画の才能に挑み、自らの資質を自覚する千種。「式道」という武術において男を上回る実力を発揮する逸子。余命わずかな不自由な身体であるからこそ暗くて陰惨なイメージから目を背けることなく、むしろ自由に発想を膨らませる華洋。そして、素直で女性らしい優しさを持つ陽子。そんな四人の絵画への想い、そして空への想い。女性というその時代の弱者を描いているからこその強さやしなやかさやしたたかさ、そして清らかさが本書にはあります。多くの方にオススメしたい一冊です。