『古書の来歴』(ジェラルディン・ブルックス/武田ランダムハウスジャパン)

古書の来歴

古書の来歴

 サラエボ・ハガダーとは、中世のスペインで作られた有名な希少本だ。ユダヤ教があらゆる宗教画を禁じていた時代に、ヘブライ語で書かれたその手書きの本には挿絵がふんだんに使われていた。出エジプト記にある戒律”汝、いかなる偶像も造るなかれ”によって、中世のユダヤ教徒は宗教的な美術品をいっさい作らなかったと考えられていたが、一八九四年、全ページに細密画が描かれたその本がサラエボで発見されると、それまでの通説がくつがえり、美術史の教科書が書き換えられたのだった。
(本書p18より)

 所在不明とされていた「サラエボ・ハガダー」が発見されたとの連絡を受けた古書保存修復家のハンナ・ヒースはすぐさまサラエボに向かう。サラエボ・ハガダーの鑑定を行ったハンナは、羊皮紙の間に挟まっていた蝶の羽の欠片を発見する。紐解かれるサラエボ・ハガダーの過去。それは異端審問・焚書・迫害・紛争の歴史。そして、紡がれる未来……。といったお話です。
 戯言ですが、挿絵付きの本の出版が禁じられていた、なんて話を聞いてしまいますと、ライトノベルに対してなんだか背徳的な感じを抱いてしまいますね(笑)。
 閑話休題です。本書は、「サラエボ・ハガダー」と呼ばれる実在の書物を題材にした物語です。「ヒストリカル・ミステリ」と巻末の訳者あとがきで謳われてはいますが、ミステリ性自体はそんなに強いものではありません。ですが、そこが本書のよいところだともいえます。推理や分析ではたどり着けない真実に対して想像をめぐらす面白さが本書にはあります。
 一冊の本には物語が収められています。そうした本自体にもそれにまつわる人々の物語と、その時代時代の物語があります。そうした、まさに「古書の来歴」を描き出しているのが本書です。書物とは本来、物語を収める媒体であるはずですが、「サラエボ・ハガダー」のような書物の場合には、その存在自体が物語です。古書の保存修復家であるハンナはサラエボ・ハガダーの物語を読み解こうとします。ですが、いつの間にか「サラエボ・ハガダー」の物語の中に取りこまれてしまいます。人が物語を語るのではなく、本が物語を語る。それは一見すると主客転倒のようではありますが、人はこのようにして歴史を超えて生きていくことができるのだともいえるでしょう。冒頭に引かれている”書物が焼かれるところでは最後には人も焼かれる”というハイネの言葉の裏返しです。
 ハンナには高名な脳外科医である母がいます。母と娘の関係、対立・理解・決別の物語が、本書の「サラエボ・ハガダー」の物語と対になるかのごとく語られています。人命を直接的に救うことに人生を捧げてきた母サラからすれば、娘の仕事に一片の価値も見出すことはできません。そんな母娘の対立は、価値観と価値観が対立する歴史の縮図のようにも思えます。閉じた物語もあれば開かれた物語もあります。書物は、そうした価値観同士の狭間に常に存在し続ける存在といえるのかもしれません。
 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(【参考】ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 - Wikipedia)を経て1996年から始まるハンナの視点を軸に、ときに過去に遡って語られるサラエボ・ハガダーが歩んできた歴史が挿まれます。ナチス焚書、異端審問による検閲、ユダヤ人迫害の歴史、偶像破壊主義者(イコノクラスト)に逆らうかの如き細密画が生み出された理由など。幾人もの人々の想いと意思によって作られ守られてきた「サラエボ・ハガダー」の歴史。
 虚構と現実とが折り重なる奥行きの深さ、スケールの壮大さ、細やかな人々の想い。ビブリオ・ミステリ*1が好きな方や歴史ものが好きな方はもちろんのこと、多くの方に広くオススメしたい一冊です。
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