『ラスト・チャイルド』(ジョン・ハート/ハヤカワ文庫)

ラスト・チャイルド(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ラスト・チャイルド(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ラスト・チャイルド(下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ラスト・チャイルド(下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 ジョニーは早くに学んだ。なぜそんなに他人と違うのか、なぜ少しも物に動じないのか、なぜ光を吸い取ってしまうような目をしているのかと問われたら、こう答えるつもりだ。どこも安全ではないことを早くに学んだのだと。裏庭も公園も、玄関ポーチも町はずれをかすめる車通りの少ない道路も。どこも安全ではなく、誰も守ってなんかくれない。
 子ども時代は幻想にすぎない。
(本書上巻p18より)

 ラスト・チャイルド。それはひとり残った子。最後の子ども。さらに、日本人的なセンスからはロスト・チャイルドという駄洒落的な言葉も連想されます。すなわち、失われた子ども。
 優しい両親と双子の兄妹。幸せだった家庭に訪れた突然の不幸。妹が行方不明となり、続いて父親もまた行方知れずとなる。残されたのは双子の兄ジョニーとその母キャサリン。キャサリンは酒とクスリに溺れ、ジョニーは一人妹の行方を探し続ける。事件から一年が経った今も。そんな家族と事件を気にして引きずり続ける刑事ハント。彼もまた事件によって傷つき家庭を失っていた。そんな最中に起きた殺人事件が、止まりかけ風化しかけた事件を再び動かし始める……。といったお話です。
 物語を語り始めるときにいったいどの時点から語り始めるかというのは極めて重要です。本書の場合でいえば、発端となる双子の妹アリッサの失踪から1年が経過している時点から物語が始まっているというのが趣向であるといえます。一般的にはアリッサがいなくなった時点から物語は始まるのがおそらく普通なはずです。そこをあえて事件から1年後のすさみきった家庭という時点から物語が始まっているところに本書のテーマを見出すことができます。すなわち、再生です。
 正直いいまして、どん底から物語が始まるというのは本書裏表紙のあらすじから嫌という程に察せられますのでページをめくる手もなかなか進みません。ここからいったいどのような救いが生まれてくるのか見えてこないからです。ですが、それでも何とか読み進めるうちに知らず知らずに引き込まれていって、気が付けば事件は怒涛の展開を見せて、そして再生が始まります。でも、それは単純な一本道ではありません。様々な登場人物たちの人生が交錯します。明らかとなる真実によって救われる人もいれば叩きのめされる人も出てきます。そんな人たちに対してもまた救いや許しといった再生の道が示唆されます。単純な勧善懲悪では割り切ることのできない、いや割り切ってはいけない現実を本作は描き出しています。
 警察小説として本作を俯瞰しますと、アリッサの失踪というひとつの事件について物語が進められていくのかと思いきや、実はそこから幾多の事件が派生して、さらには別の重大事件まで明らかになって警察内部でも様々な思惑が錯綜していくという展開を見せます。単線の物語かと思いきや実は現代の警察小説でよく用いられるモジュラー型の小説であったというのが構成面の工夫だといえます。そうしたいくつもの事件について、登場人物たち(主に刑事であるハント)がいかに向き合い受け入れていくかというのも本作の醍醐味です。
 あまりの死体の多さ故に悪趣味の謗りは免れないかもしれませんが、本書は悲惨な過去を受け入れて乗り越える強さを描いた人生賛歌の物語だと思います。オススメです。