『とある飛空士への恋歌 5』(犬村小六/ガガガ文庫)

とある飛空士への恋歌 5 (ガガガ文庫)

とある飛空士への恋歌 5 (ガガガ文庫)

 ――歌えない恋の歌もある。

 リアリティとファンタジーのバランスというのは本シリーズの大きなテーマでした。リアリティという側面に着目すると、それはカルエルたち飛空科の生徒が目指すものであり航空力学と空戦といったものを具現化している飛空士という要素がそれを象徴しているといえます。一方で、ファンタジーという要素に着目すれば、それは他でもない「風呼びの少女」クレアがその象徴といえます。
 そうしたリアリティとファンタジーのバランスという大枠のフレーム問題が、カルエルとクレアの二人の関係性の問題にも反映されていたといえます。つまり、世界観の問題が二人の関係性の問題に巧みにシフトすることで、その作中の世界観の決定を作中のキャラクターの決断に委ねたということになります。
 とはいえ、本書における「風呼びの少女」というファンタジー要素は、外交交渉におけるカードの一枚に過ぎません(非常に価値のあるカードではありますが)。ファンタジーの代わりに浮かび上がってくるのがロマンスです。本書では空戦は描かれませんが、代わりにアメリアによるイスラと「空の一族」との外交交渉の過程が綿密に描かれます。それが本書の「リアリティ」です。作中でも幾度となく強調される非現実的主張の前に立ちはだかる現実的問題。誰もが納得いかない思いを抱きつつも受け入れざるを得ない現実。ロマンチックな考えは、現実の前にあまりにも無力です。
 飛空士がリアリティの象徴であり「風呼びの少女」がファンタジーの象徴でクレアがロマンスの象徴であるならば、カルエルが飛空士を目指す「カルエル」である限り飛空士の象徴するリアリティの立ち位置から抜け出すことはできません。リアリティとロマンスとのバランスの取れた着地点を見出すという世界観の問題解決というレベルから見たとき、彼の下した決断は必然のものだったといえます。世界が彼に決断を迫り、その決断が世界観を決定する。つまり、世界からキャラクターへという一方的なものではなくキャラクターもまた世界観に影響を与え得るのだという双方向性が、読者にとってカタルシスとなり王道ともいえるストーリーのスケールを壮大なものにしているのです。
 ……などという小難しい読み方をする必要は微塵もないわけで(苦笑)、本書は期待以上の結末でした。生き残った生徒たち一人ひとりの思いを丹念に描いて、「星」という世界の秘密についての真実も明らかとなって(もっとも、なぜそのような世界が作られているのかという謎は残りますが)、さらには本筋にも見事な結末を迎えていて、一読者として大満足です。個人的には、カルエルの過去が単に忘れ去られるべきものではない大事な要素として扱われるというストーリー上の構成の妙に痺れました。
 ライトノベルのシリーズものというのはとかく引き延ばされがちですが、本シリーズは納得の密度と内容での大団円となりました。振り返れば、ロマンスという王道に匹敵するだけのリアリティを描き出して付加することによって、互いに互いを高めあうという相乗効果が本シリーズでは生じていたのだと思います。ライトノベル読みであれば読み逃すべきではない作品だといえます。未読の方がおられましたら是非。
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