『スノウピー、見つめる』(山田有/富士見ファンタジア文庫)

スノウピー1  スノウピー、見つめる (富士見ファンタジア文庫)

スノウピー1 スノウピー、見つめる (富士見ファンタジア文庫)

 献本いただきました。どうもありがとうございます。

「人間は理屈にあわない存在だけど、見ていて飽きないの。いろんなことを考える参考にもなる。おろかだとは思うけれど、それは嫌いってことじゃないの。興味深いの」
「はあ」と僕は言った。「それはつまり……」
「つまり、知的好奇心を刺激されるの」
 なるほど、と僕は思う。スノウピーは冷たい女の子だけれど、好奇心は旺盛らしい。
(p17より)

 第1回ネクストファンタジア大賞銀賞受賞作品です。
 本書は『スノウピー、見つめる』というタイトルのとおり、異世界の住人であるスノウピーが人間の生活を見つめる物語です。なのですが、本書の主人公はそんなスノウピーを見つめる”僕”で、さらにそんな”僕”にはクラスメイトというか友だちというかビジネス的な知り合いの可香谷さんという小説家志望の女の子がいて、”僕”と自分のこととか今の自分の気持ちとかをお話に落とし込んで”僕”に説明しようとします。つまり、読者を物語に直接引き込もうとするのではなく、物語の方から外に外にと広がることで読者に働きかけようとするタイプのお話です。
 では中身は何が入っているのかというと、ラブコメライトノベルにありがちな「鈍感な主人公」という空虚です。ただし、本書の場合には「他人の心が分からない」という自覚のある捻くれた鈍感ですが。もっとも、”ありがち”とはいうものの、自意識ばかりが過剰になってしまうとその場しのぎの対応ばかりが上手になって自分や他人の内面への配慮が疎かになってしまう、というのは、特に思春期においては珍しい悩みでもないでしょう。そんな悩みのパロディとして「鈍感な主人公」というのには根強い需要があるんじゃないかと思ったりしました。まあ小恥ずかしいですけどね(笑)。それでも、何かを見つめるということを突き詰めますと、それを見つめる者自身の物の見方や考え方・価値観といった内面が必ず問われることになります。そんな内へ外へと視線を往復させる独特な仕組みが面白いです。
 可香谷さんが好んで書くジャンルはファンタジーなので、作中には『ハリーポッター』とか『果てしない物語』とか『指輪物語』といった作品名がでてきます。それらの作品に比べると、本書のファンタジーとしての設定は貧弱です。スノウピーが住んでた世界にしても私たちの世界と比べてどれほど異世界なのかサッパリ分かりませんし、スノウピーにしても言葉が普通に通じたり周囲の環境にすぐに溶け込んでいます。魔法みたいな氷の能力はあるにせよ、スノウピーの生態もあまり人間と変わらないみたいですし。異世界ならぬ異文化交流にしてもなかなかここまで上手くはいかないでしょう。また、作中に登場するホーネットという他の異世界人(?)の設定はファンタジーというよりはむしろSF寄りで、本書のファンタジーとしての統一感をぶち壊しています。何でもありのライトノベルらしいといえばらしいといえますが。
 とはいえ、そうしたファンタジー作品がときに独自の世界観や異種族の設定にこだわるのは、私たちの住んでる世界とは異なる確固とした世界を作りたいからでしょう。異なる世界を生み出すことによって、そこから生まれる理解と無理解や協調と衝突を、あるいは自分や他人の世界の大切さを知るといった物語を描くことができます。つまり、ファンタジーとは交流が描かれているジャンルである、ということがいえるでしょう。そういう意味で、本書は手抜けるところは手抜きしてファンタジーとして描くべき部分(あるいは描きたかった部分)をまずは描いた、ということなのだと思います。それは無粋な試みかもしれません。しかし、一方でファンタジーというものを素直に楽しめなくなってしまった年頃の読者にとっては、ファンタジーの魅力を再確認したりする特効薬として効果があるかもしれません。つまるところ、ファンタジーとは私たちの身近にあるものなのです。
【関連】http://d.hatena.ne.jp/CornPotage/20100318/Permalink