『ソフィー』(ガイ・バート/創元推理文庫)

ソフィー (創元推理文庫)

ソフィー (創元推理文庫)

「”きしるドアは長く蝶番についている”って諺があるわ」とソフィーは言った。「危なっかしく見えるものは、かえって長くもつって意味よ。逆に、見かけはよくても、なかが腐ってすぐだめになるものもある」
(本書p128〜129より)

「ときどき、ぼくは自分の子供時代の意味を探すために、子供時代を過ごしたように思えるんだ。言ってる意味がわかるかどうか知らないけど」
(本書p149より)

 ソフィーとは、智慧・叡智を意味するギリシア語のソフィア(ソフィア - Wikipedia)から派生した女性名ですが、マシューによって語られるソフィーを象徴する実に意味深な名前です。
 物語は過去と現在が交錯します。過去を語る独白劇と現在を語る対話劇。
 ソフィーとマシューの姉弟。マシューの独白によって語られる幼い姉弟の懐かしい思い出。マシューにとっては誰よりも優しくて賢くて、だけど周囲から注目されることを恐れ、その資質をひたすらに隠していた姉ソフィー。ギイラギの木。採掘坑。納屋。二人だけの遊び場。二人だけの世界。そんな幼ない二人もやがては成長し大人にならざるを得ません。世間を欺き平凡な少女として振舞いつつもマシューにだけは本当のことを語り、しかしながら、マシューにも明かさない秘密・暗号の日記をソフィーは書き続けます。それはいったい何のためか。そこにはいったい何が書かれているのか。ソフィーの真意は?
 そんな郷愁に溢れるマシューの幼少時代を聞かされる対話劇は緊張感に満ちています。昏い密室での対話劇。語り手であるマシューの語りはときに矛盾することがあります。つまりは「信頼できない語り手」なのですが、生き残るためにはその語り手の信頼を得なければなりません。そんな聞き手の緊迫感を読者もまた体感させられることになります。いったい過去に何があったのか。「信頼できない語り手」の信頼を得るという綱渡りをしながら、聞き手は過去の真相を引き出さなくてはなりません。
 本書の魅力を伝えるのは実に難しいですし、ネタバレというか、未読の方のイメージを狭めるようなことをあまり書くわけにもいかないとは思うのですが、ひとつだけ書くとすれば、マシューがソフィーに送ったアンモナイトの化石には実にいろいろな意味が込められているのだと思います。

 ミステリの文脈から語るならば、『ソフィー』とは、加害者の犯行動機を命がけで模索する被害者の物語、といっていい。ただし両者の関係は、一元的にしっかりと固定されたものではなく、同時に共犯的でもあり探偵と相棒でもあるというように、物語の進展に従って変化していく。
 故に読者は、常に不安な状態に置かれたままで気を抜く間もなく、ゴールの見えない対話劇の行く末を、ただ見守るしかないのだ。登場人物の役回りがはっきりしているスタンダードな密室サスペンスとの違いがここにある。
(本書巻末の川出正樹の解説p302より)

 本書のミステリとしての魅力は上記解説にて端的にまとめられている通りです。そうしたミステリとしての魅力を備えながらも、一方で読者を幻惑する魔術的小説でもあって、つまり過去と現在なみならず様々な要素が交錯している作品なのです。文章の読みやすさもあってぐいぐいと引き込まれていくのですが、一言一句読み逃すことを許さない緊張感が常につきまとっています。上質なサイコドラマとしてオススメの逸品です。
【参考】黒原敏行の自薦イチ押し本 - 翻訳ミステリー大賞シンジケート(訳者による紹介記事です。)