『少年テングサのしょっぱい呪文』(牧野修/電撃文庫)

 主人公は高校2年生の柳原心太。あだ名はテングサ。何故テングサかといえば、心太は”こころた”と読むのですが、ご存知の通り心太は元来”トコロテン”なわけで、そしてトコロテンの原料はテングサで、だからテングサです。他の登場人物の名前も変わっていて、テングサと友人の名前は佐藤流星愛(さとうるきあ)に鈴木地球(すずきあーす)。名前こそへんちくりんなバカ三人組ですが、そんな三人の関係性自体は冒頭で述べられているとおりベタなものだったりします。
 ですが物語自体はベタとはいえなくて、なぜなら主人公のテングサは邪心法人ジゴ・マゴのヨリシロだからです。邪心法人とは文字通り法人格を得た邪心のことで、ヨリシロに憑依することによって現世にととまることができます。憑依するためには国への儀式許可届け出といった様々な手続きが必要です。いわゆる社団法人や財団法人といった人や財産の集合体に法人格が与えられている「法人」については、その法的な本質論として法人否認説、法人擬制説、法人実在説といった議論がありますが*1、邪神法人の場合にはどうやら邪神実在説が採用されている模様です(笑)。本書みたいなお話を読んでしまいますと、「被著作人権」の議論もいよいよ現実味を帯びてきたのかなぁ、と思わずにはいられません。
 閑話休題です。つまり主人公は邪神法人のヨリシロで、邪神法人との関係でいえば代表取締役のような立場にあるといえます。宗教法人なるものがあるのですから邪神法人があってもおかしくないとはいえますが、邪神法人が特殊なのは、邪神が実際に個人的な願いを叶えてくれる(かもしれない)という点にあります。それも、呪殺といった物騒なものも正規の手続きを経ることで叶ってしまう場合があります。もっとも、そうはいっても邪神はしょせん邪神。何を考えているかとか人間にはまったく分からないので叶ったり叶わなかったりしますし、そもそも呪いの場合には、仮に結果が発生したとしてもその結果と呪いとの因果関係が不明なこともしばしばです。そんな過剰なまでの手続き主義とハチャメチャな因果関係がハーモニーが本書の面白いところです。
 本書は、「第一章 莫迦の人」「第二章 莫迦の園」「第三章 莫迦の街」「エピローグ 莫迦の世界」と、徐々にスケールが大きくなっていくバカのためのバカなお話です。どうしたいか、という思いはあるものの、どうなるか、といった考えが足りなくて、それでも何故か筋が通っているバカなお話です。それは思春期のバカであり、成長の余白のバカであり、助け合うためのバカでもあります。
 何とかしてライトノベルにしようとしたためか、無理を感じる設定や場面がなきにしもあらずですが、「普段は人としてどうかという小説ばかり書いている」著者の作品にしては非常に読みやすい作品に仕上がっています。バカ恋愛とバカアクションが気軽に楽しめる一冊としてオススメです。

*1:ただし、実益に乏しい議論ではありますが。