『漆黒の王子』(初野晴/角川文庫)

漆黒の王子 (角川文庫)

漆黒の王子 (角川文庫)

 プロローグで語られる小学四年生のぼくへの壮絶ないじめと生涯の出会い。そこから始まる本編は、「上側の世界」として、とある暴力団の組内で発生した謎の連続変死事件と抗争が。「下側の世界」として、暗渠に迷い込んだ記憶を失った女性”ガネーシャ”と、そこに暮らす《王子》他6人のホームレスとの出会いが。2つの物語の行く末は果たして……といったお話です。
 本書の解説で、同著者の『1/2の騎士 harujion』ジョジョ4部との関係性について触れられています。その説に便乗しますと、暴力団の組員が主要人物である「上側の世界」の物語とジョジョ第5部が、あるいは復讐譚としてはジョジョ第1部が、作家の初期騒動という観点から勘ぐりたくなってきます(笑)。実際、本書にも、

「――お前、今まで知らずに踏んできた蟻の数を覚えているか?」
(本書p121より)

という台詞があるように、ある程度ジョジョが意識されていることは間違いないでしょう。ジョースター一族の一大サーガ、それがジョジョです。一方、本書の主要人物たちは暴力団員、あるいは暗渠に住む壊れたホームレスということもあって、未来に幻想など抱いてはいません。社会の底辺に暮す者、弱者として虐げられている者として引きあってはいますが、それはあくまでも少数者の集まりにすぎません。つまり横の関係はどうしても希薄にならざるを得ません。だからこそ、そんな孤独な人間でも背負っている過去があるという縦の関係、つまりは物語を描くという意味において、ジョジョとの通奏低音があるのではないかと思います。
 「上側の世界」における組員の変死の謎。死因が明かされるまでは、「下側の世界」の登場人物たちの名前が《王子》に始まり《時計師》《画家》《墓堀り》《抗夫》《ブラシ職人》《楽器職人》とおとぎ話めいたもので統一されていることもあって、何らかの超自然的な原因を疑わざるを得ませんでした(苦笑)。ですが、それが現実的なものであることが明らかとなってからは、その謎はハウダニットとして立派に機能します。そしてそれはフーダニットに直結しています。また、紺野と高遠の元に送られてくるメールの謎も暗号として謎解きの対象となります。かようにミステリとしての工夫がなされてはいますけれど、本書において読者の興味を最も惹くものは、やはり「上側の世界」と「下側の世界」との関係性でしょう。
 「上側の世界」の暴力団の抗争を描いたノワール小説に、「下側の世界」の児童文学めいた雰囲気とが交互に語られるという構成は、ときに不協和音めいた不快感や違和感を生じさせますが、ときに引き立て合います。「上側の世界」の中にも無垢な心が隠されていて、「下側の世界」にもドス黒い闇が隠されています。両者はまさに表裏一体なのです。
 強者によって奪われた弱者の物語。あるいは多数者によって虐げられている少数者の物語。本書ではたくさんの社会的問題が提示されますが、それらはあまりにも多岐に及び、まとまりというものがありません。小説としては散漫な感があるのは否めませんが、多様な背景を持った人物たちによって語られる悲劇と血で血を洗う惨劇は、多数者が抱く淡い幻想を無効化します。
 600ページを超える物語ですが、「面白かった?」と訊かれると正直微妙です。というのも、本書の実質的な語り手であり聞き手でもある水城ですが、その彼がガネーシャに対して果たしてそこまで肩入れできるものなのか?というのがどうにも疑問で乗り切れませんでした。あと、やはり眼前で繰り広げられる惨状や言葉の数々は決して目にも耳にも心地のいいものではなくて、「面白かった」といえるような性質の物語ではないのも確かでしょう。結局は憎しみの連鎖の物語ではあるのですが、憎しみ以外にも連鎖するものがあります。そんなお話です。