『完黙―捜査班』(麻生俊平/徳間文庫)

完黙―捜査班 (徳間文庫)

完黙―捜査班 (徳間文庫)

「そんな刑事にも、絶対にわからない秘密がある。死んだ人間が何を考えているのか。この沈黙だけは崩せない」
(本書p219より)

 『ザンヤルマの剣士』の作者として(私の中で)有名な麻生俊平が書いた警察小説です。
 警察に入って9年目。交番勤務から念願かなって九辻署強行犯係に配属された新人刑事・オダリョーこと小田桐良が本書の主人公です。そんな小田桐が刑事として初めて捜査に参加することになるのが身許不明の殺人事件です。いや、厳密には殺人事件とは断定できなくて、死因は頭部打撲なだけにもしかしたら事故死かもしれなくて、そんな地味な事件ではありますが、事件が地味であることと捜査が簡単であることとはイコールではありません。身許が分からなければ人間関係も動機も分かりません。ゆえに、初期の捜査は徹底した地道な聞き込みが中心となります。
 新人刑事である小田桐は、まずは民間から転職してきた暮林と組んで聞き込みを行なうことになります。暮林は自らの手法が”邪道”であることを断った上で、聞き込み先を限定して証言を得ようとします。その選定基準にはそれなりの合理性があるのですが、にもかかわらず暮林が邪道だとするのには、やはり捜査の基本は徹底した虱潰しによるローラー作戦にあるからです。それが組織捜査というものです。
 その後、ちょっとした人間関係のいざこざがあって、小田桐は歌川という四十過ぎの女性刑事と組まされます。彼女が行なうのはまさに徹底した虱潰しの聞き込みです。近隣住民はもとより子供からホームレスまで。しかも一人ひとりをおざなりにすることなく、ともすれば世間話とも思えるような話にも付き合って、それでいて少しでも事件に関係がありそうなことであれば執拗に質問をして、靴底をすり減らしての聞き込みを根気強く行ないます。
 警察の捜査における聞き込みをこれだけ念入りに描いている警察小説も滅多にないのではないでしょうか。それくらい聞き込みの描写に筆が割かれています。地味な事件を地味に捜査するうちに、自分たちの聞き込みとは別のルートで被害者の身許や物証などが出てきたりして事件の背景が少しずつ明らかになってきます。一見無駄とも思える捜査の積み重ねが大事なことは頭では分かってはいるけれど、実際に自分たちのやっていることが無意味なことの積み重ねに思えてしまう倦怠感や虚無感は、新人刑事の苦悩としてとても共感がもてます。ベテラン刑事の一挙手一投足がストレスやキャリアと所轄の軋轢といったいかにも警察小説といった要素もそつなく押えられていて、警察小説として実に堅実な物語に仕上がっています。
 そんな地味な事件ではありますが、その真相は地味一辺倒とはいえなくて、少々捻りが利いたものとなっています。ですが、それは読者がカタルシスを覚えるような類いのものではありません。『ザンヤルマの剣士』は一言で言ってしまえば断罪の物語であり罪を抱えて生きることを謳った物語でしたが、だからこそ、単純な正義や真実などないということを譲れないのでしょう。捜査の名の下にどれだけの秘密が暴かれようとも、決して暴くことのできない、物語の入り込む余地のない沈黙があります。
 このように、本書の本筋自体は地味なものではあるのですが、合い間に挟まれている「通奏低音」のパートが物語的なアクセントになっています。女の子のために人殺しをしてしまった少年。その罪を抱えながら生きていく少年のパートが、文字通り通奏低音として奏でられています。
 地味で堅実というのは長所でもあれば短所でもあるので、あまり強調し過ぎてはいけないのかもしれませんが、踏み込むべき点には踏み込む反面、踏み込めない点には踏み込まないという抑制の効いた筆致には好感が持てます。続編希望ですが、今度は同じメンバーでもう少し派手な事件も読んでみたい気もしますね(笑)。
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