『ミスター・ディアボロ』(アントニー・レジューン/扶桑社ミステリー)

ミスター・ディアボロ (扶桑社ミステリー レ 8-1)

ミスター・ディアボロ (扶桑社ミステリー レ 8-1)

「信じる者よりも懐疑論者の方が迷信に対して無防備だということに、わしはこれまで何度気づいたことだろう。ひとたび懐疑論者の防御が崩れたら、もう敗北だ。しかし、信じる者は新しい現象、古い言い伝え、報告などを、関連する原則に照らして検証することができる。すべてか無かという問題ではないんだ」
(本書p129より)

 原書は1960年に刊行された作品です。黄金時代の「後出し」的な作品として、本格ミステリの基本的な枠組みを堅持しつつも批評的精神も織り込まれた古典ミステリの佳品です。
 閉鎖的な大学内での事件。神出鬼没の怪人ディアボロ。密室殺人。登場人物たちによるアカデミックな会話。少しのロマンス。そして、端整に張られた伏線に基づくフェアな解決。いかにもお約束とはいえ、これだけのものが揃っていれば、ミステリ読みとしては認めないわけにはいきません。
 もっとも、傑作と呼ぶほどの訴求力がないのも確かで、というのも、密室トリックはあまりにも陳腐ですし消失トリックにも有名な前例があります。お世辞にもメジャーとは言いがたい扶桑社ミステリーというレーベルの作品をわざわざ手に取る読者を対象として考えると、少なくともアイデアの煌めきという点において、本書を読んで感銘を受ける方はあまりいないでしょう。
 とはいえ、巻末の訳者解説にもある通り、本書の真価はアイデアそのものではなく、それを成立させるための伏線の張り方・フェアさにあるとみるのが正当な評価でしょう。どこからともなく現れて、いずこへと消えていく不思議な現象。そのトリックはあまりにもシンプルで、それでいてそのヒントは読者の目の前に堂々と置かれています。過度に複雑な構成による目くらましも施されていない潔い構成は読後に清廉な印象を残します。

「解決のある謎が好きなんだ。この混乱した世界で、実際にきちんと決着をつけて解決できることがあるというのは愉快だよ。たとえそれが、ラジャーのダイヤモンドを盗んだのは誰かとか、書斎に死体を置きっぱなしに下粗忽者は誰かということに過ぎなくてもね」
「残念ながら探偵小説はもはやそうではない」「現代では心理と欲望だらけだ。社会主義リアリズムが我らが時代の呪いになっている」
(本書p24より)

 といった作中の会話も、その時代のミステリ観を考える上でなかなかに面白いです。
 欲をいえば、事件の前段階として語られる悪魔の小道の言い伝えにもっと深みがあれば、ミステリとしての質もより高まったと思うのですが、それは高望みに過ぎるのでしょうね(苦笑)。カーほどのけれん味はありませんが、それを思わせる佳品として、ミステリ読みにはそこそこオススメの一品です。
【関連】ミスター・ディアボロ(扶桑社ミステリー通信)