『モノレールねこ』(加納朋子/文春文庫)

モノレールねこ (文春文庫)

モノレールねこ (文春文庫)

 駒子シリーズでデビューした加納朋子は”日常の謎”(参考:日常の謎 - Wikipedia)を代表する作家として知られています。”日常の謎”とは、ときに”人が死なないミステリ”と呼ばれることがありますが、それは何も不死の世界の物語を描いているという意味ではありません。ミステリにおいて多数派である殺人事件が題材となっていないというだけの話です。ただ、”日常の謎”と呼ばれる作品群に死を忌避する傾向があるのは確かでしょう。それは、おそらく死が所与のものである一般のミステリとの差別化を図りたいという意味があるのではないかと思います。
 ”日常の謎”とは、謎を見つけ出すための枠組みとして日常を把握する手法です。そこでは通常、謎>日常という関係が成り立っています。駒子シリーズも初期の頃は日常のなかに謎を見つけ出しそれを大事にするというスタイルでした。ところが、3作目の『スペース』は、それとは決定的に異なります。”日常の謎”というスタイル自体は踏襲されています。ですが、最初に謎の提示を済ませてしまい、その上で日常というものを見つめ直すという、これまでとは違った”日常の謎”が描かれています。つまり、『スペース』において描かれている”日常の謎”では、日常>謎という関係が成り立っているのです。
 さらに本書では、謎へのこだわりが完全に払拭されています。その代わり、”死(あるいは喪失)”が描かれています。日常における死の復権、などと考えるのは決して穿った読み方ではないと思います。通常のミステリでは殺人事件が当然のように起きて、探偵が当然に事件を解決してくれます。しかし、その一方で被害者の立場や苦悩といったものは、どうしても二次的・副次的なものにならざるを得ません。そんな置いてけぼりにされがちな喪失感とそこからの回復が、探偵による人知を超えた推理によって”導き出す”のではなく、日常的に”見つけ出す”ことによって描き出されています。
 本書は、”日常の謎”から”日常の風景”へと焦点が移された作品集だといえます。非ミステリ作品集ではありますが、”日常の謎”というフレームを考えるという意味ではミステリ読みにも意義のある本だといえます。まあ、そんな無粋なことを抜きにしても普通に面白い本なのでオススメですけどね(笑)。
 以下、短編ごとの簡単な紹介。〈モノレールねこ〉は、モノレールみたいな猫によってモノレールみたいに行なわれる文通の話。〈パズルの中の犬〉は、白いジグソーパズルから浮かび上がってくる過去。〈マイ・フーリッシュ・アングル〉は、個人的にかなり疑問。これはないと思う。〈シンデレラのお城〉はキツいお話。〈セイムタイム・ネクストイヤー〉は、死んだ我が子の歳を数える母親の話。〈ちょうちょう〉は、ラーメン屋の話ですが、曖昧さを無理に言葉にするのは野暮ということで(笑)。〈ポトスの樹〉は駄目オヤジの話ですが、これは苦笑せざるを得ません。〈バルタン最期の日〉は、ザリガニの視点で描かれた、とある家族の日常。作品集の最後を飾るに相応しい傑作だと思います。