『サクラダリセット』(河野裕/角川スニーカー文庫)

「互いの言語を知らなくても、互いに勘違いしていても。それでも私は貴方の言葉を理解して、貴方に言葉を伝えられると信じている」
「無理だよ。そんなの、奇蹟の領域だ」
(本書p69より)

 咲良田市という能力者たちの住む箱庭を舞台にしたお話です。
 春埼美空はリセットの能力を持っています。世界を三日分、元の世界に戻すことができます。強力ではありますが制約もあります。まず、セーブした瞬間にしか状況を戻せず、しかもセーブポイントはひとつしかありません。また、セーブした時点から72時間が経過してしまうとその効果は失われますし、一度セーブを行なうとそれから24時間はセーブすることができません。また、リセットは誰かに命令されないと行なうことができません。さらに、リセットの効果は彼女自身にも及ぶため、リセットを行なったことを彼女は覚えていることができません。
 強力ではありますが不便な点も多い彼女の能力を支えているのが浅井ケイです。彼は記憶を保持する力を持っています。それだけなら「単に記憶力がいい」というだけの話ですが、彼の記憶保持能力はリセットの効果を無視することが出来ます。つまり、春埼とケイが力を合わせることによって、リセットの復元能力は有効に機能することになります。
 いかにもゲーム的ご都合主義的な能力ではありますが、特殊な能力によって何かができるという自覚が、それでもできないことがあるという無能感を引き出すことにも繋がります。
 ケイは死んでしまった猫を助けるという依頼を受けて、春埼に世界をリセットさせます。リセット後、ケイは猫を助けるために尽力しますが、他のことについてはできるだけ未来を変えないように、記憶保持能力を最大限に活かして自らの過去の行動を実直になぞります。猫を助けたために誰かが死んでしまうということもあり得るからで、そのための処置ではありますが、しかしながら、それでも不測の変化が生じることは避けられないでしょう。物事の因果関係などそう簡単に予測できるものではないからです。
 だとすれば、猫を助けるためなどにリセットを行なうべきではないと思われますが、それでも彼はリセットします。神様にあこがれた少年が、そんなの無理だという当たり前のことに気付いて、だからこそ目の前の幸せを優先する。それは、彼と彼の身近にいる人にとって優しい未来ではあります。その反面、自らの与り知らない事柄については未来がどのように変化しようが構わない、ということでもあります。
 あることが誰かにとっては優しくても、他の誰かには残酷なことかもしれません。優しさと残酷さの二面性は、住む世界の違いによって顕在化します。すぐに世界を壊すか、それとも少しずつ世界を広げて変えていくか。
(以下、念のため既読者限定で。)
 本書の結末にはシェイクスピアの『ヴェニスの商人』を思わせるものがあります。村瀬が欲したものを手にするためには、欲しないものを臨む必要がありました。そのことに自覚的だったケイは、ポーシャの理屈によってアントーニオが受けるべきだった結末をあえて実現させます。本当に”酷い話”です。
 能力者は能力の制約によってしばられます。ですが、制約にしばられているのは何も能力者だけではありません。制約は不自由なものかもしれません。ですが、その制約が人と人との理解の接点となっていきます。制約はルールと置き換えても良いかもしれませんが、これもまた一種の奇蹟だといえなくもありません。本書はそんな酷くて優しいラノベの国のおとぎ話です。
【関連】
『サクラダリセット 2』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 3』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 4』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 5』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 6』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 7』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館