『航路』(コニー・ウィリス/ヴィレッジブックス)

航路 上 (ヴィレッジブックス F ウ 3-1)

航路 上 (ヴィレッジブックス F ウ 3-1)

航路 下 (ヴィレッジブックス F ウ 3-2)

航路 下 (ヴィレッジブックス F ウ 3-2)

 本書の上巻には、臨死体験(NDE=near-death experience)というテーマに作者であるウィリスが何ゆえ興味を持ったのかという理由が記されています。アメリカで1980年代から90年代にかけてたくさん出版されていた臨死体験の実例を報告した本を読んで、彼女は激怒します。いわく、

科学的なノンフィクションの体裁をとっていますが、これは最悪のニセ科学だし、人間の弱さや恐怖心につけこんで、読者が聞きたいと思っていることを――死んだ人間はただ存在をやめてしまうのではなく、別世界へと赴き、愛する人々と再会できるのだと――語っているだけなのです。最悪なのは、これらの本がじつに卑しい動機で――つまり、金儲けのために――書かれているということです(こうした臨死体験本はどこもこれもベストセラーになり、著者は講演やTV出演で何百万ドルも稼いでいます)。
(本書上巻p643〜644より)

 ですが、それと同時にウィリスは臨死体験というものを、単に想像上のものではない何らかの体験であることは間違いないと考え、その現象に興味を抱くようになります。そうして書かれたのが本書『航路』です。
 臨死体験については、霊魂が死後の世界を体験してきたものだとする心霊主義の解釈と、死に直面にした脳内で生じる特殊な現象とする解釈とがあります(参考:臨死体験 - Wikipedia)。ウィリスが激怒したニセ科学心霊主義者を彷彿とさせる人物は敵役として登場しますが、本書の主人公であるジョアンナ・ランダーは認知倫理学者という科学的・医学的見地から臨死体験の謎に迫ろうとします。
 臨死体験者の多くが自己の体験として語ること(つまりは、”死後の世界”)のほとんどが、実はすでにメディアによって出回っている臨死体験の情報に影響され、あるいは質問者による誘導によって答えを引き出されてしまうことによって歪んでしまっているものではないのか。そう考えるジョアンナは、臨死体験者に聞き取り調査の際には慎重に質問をします。答えを誘導しないようにして、体験者の”作話”も排除します。そうすることで、あるがままの臨死体験の記録に努めています。
 真実を知るためジョアンナは”作話”を排除しようとします。その一方で、本書は臨死体験をテーマとしたフィクション、つまり”作り話”です。”作話”を否定しておきながら如何にして”作り話”を描くことを肯定するのか。作中において、”作話”は「期待と影響の産物」だとされています(本書上巻p429より)。だとすれば、それを超えたところにあるのが”作り話”ということになるでしょう。
 臨死体験について死後の世界の存在を標榜する心霊主義との関係でいえば、主人公であるジョアンナの立ち位置はそれと正反対の科学主義にあります。しかしながら、臨死体験の研究でジョアンナとパートナーを組むことになる神経内科リチャード・ライトとの関係でいえば、必ずしもそうとは言い切れなくなってきます。臨死体験の何もかもを側頭葉への刺激で説明しようとするリチャードの姿勢はさながら科学万能主義だといえるでしょうが、何もかもをそうした原因で説明するリチャードにもジョアンナは反発を覚えずにはいられません。
 換言すると、本書は心霊主義と科学万能主義とSFとの緊張関係を描き出した作品です。そして、そうした構成には臨死体験ニセ科学本に対してウィリスが激怒した理由と、SF作家としてのプライドが表明されているのです。だからこそ、本書はとても面白かったです。