『トワイライト・ミュージアム』(初野晴/講談社ノベルス)

トワイライト・ミュージアム (講談社ノベルス)

トワイライト・ミュージアム (講談社ノベルス)

 身寄りのない孤児として児童養護施設で育てられてきた勇介は、急逝した大伯父から博物館を相続する。雑多な博物館とそこに勤務する学芸員たちには、秘密裏に行なっている研究。それが、脳死患者と時間旅行を研究する極秘実験(トワイライト・ミュージアム)。脳死によって過去に彷徨う魂を救うため、勇介は学芸員枇杷と共に中世ヨーロッパ・魔女狩りの時代へとタイムトラベルを行なう……といったお話です。
 私が初野晴の作品を読むのはこれが3作目ですが、デビュー作である『水の時計』でも脳死が題材になっています。それでも、『水の時計』では奇跡としか思えない現象についても一応の科学的説明がなされていましたが、本書の場合には、科学的説明がないことはないのですが、「信じられないのであれば、信じなくてもいい」というスタンスでかなり開き直っています。脳死の基準やラザロ徴候(参考:ラザロ徴候 - Wikipedia)といった説明まで丁寧にされるのに、そこから「脳死した子供の意識は時間旅行している」などという設定に行き着くのがすごいです。もっとも時間旅行はSFではありきたりのテーマですから、これくらいやってもやり過ぎとは思いませんし、むしろ独創的でいいか、とすら思ってしまいました(笑)。
 時間旅行ものにおいては、タイムパラドックスをどのように解決するかがひとつの問題となります。本書の場合には、過去の時代にタイムスリップした精神は肉体を共有できそうな弱い固体、すなわち社会的弱者を探す、とすることによって、タイムパラドックスが極力発生しないような措置が施されています。もちろん、だからといってタイムパラドックスが回避されるとは限らなくて、作中でもこれまた開き直っていますが(苦笑)、そんなに不自然な設定でもないように思います。とはいえ、『1/2の騎士 harujion』でも社会的弱者であるマイノリティが主役でしたから、そうした作者の嗜好がタイムトラベルの設定として活かされたものだと見る方が自然かもしれません。ときに意識的に偽悪的な表現を用いることで、お涙頂戴になりがちな展開に客観性を持たせようとしています。それが鼻につくこともあれば、ドキッとさせられることもあります。
 勇介と枇杷脳死した少女を救うために魔女狩りの時代へ飛び、そこで対峙することになるのはスイミングと呼ばれる魔女判別法です。魔女の疑いをかけた人間を水中に放り込んで、浮かんできたら魔女、沈んだら人間(もちろん溺死)とする、どっちにしても助かることのない理不尽な裁判です。ですが、裁く側は魔女であることを証明するためにこうした儀式を行ないます。なので、鉄球を縛り付けるなどの浮かんでこない工夫をした上で、それでもなお浮かんでくるという結果を見せることによって、その者が魔女であることの根拠とします。
 そんなスイミングの真相を探すための推理会議は、現代でいうところのイリュージョンのネタばらしとほとんど同義です。なので、無粋といえば無粋です。ですが、タイムトラベルや意識の共有といったファンタジーっぽい現象が起きているにもかかわらず、過去において魔女の証とされていた現象について合理的な解決を見い出すという逆説的な展開はそれなりに面白いと思います。とは言うものの、スイミングの真相は実のところそんなに重要ではありません。本書におけるタイムトラベルの目的はあくまでも脳死した少女の救出にあります。スイミングの謎解きはそのための一要素にすぎません。タイムパラドックスの問題とも少し関係してきますが、いかなる解決を選択するかが大事なのです。
 実をいいますと、私が一番消化に苦しんだのはタイムトラベルの設定やスイミングの真相などではなくて、勇介と枇杷が何故こんなにも強い絆で結ばれているのかという人間関係の部分だったりします。ここがどうにも腑に落ちませんでした。全体的には、いろいろと突飛でありながらもギリギリのところで踏みとどまっているバランス感覚が微妙なのか絶妙なのかはよく分かりませんが、そこそこ面白かったです。もっとも、キワモノを楽しんだかの如き読後感は否定できませんけどね(苦笑)。