『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 7』(入間人間/電撃文庫)

 さて、6巻の終わり方が終わり方で、さらにはあとがきがあとがきだったので、果たして続きが出るのか出ないのかで本シリーズの読者(←私も含めて物好きとしかいいようがない)をやきもきさせたわけですが、やはりというべきか意外というべきか、こうして続きが刊行されました。
 6巻は一人称多視点の手法が用いられていましたが、本書では語り手の交代という荒業が用いられています。みーくんの代わりに『物語』役ならぬ『物騙り』役を自称して物語を進めるのはU・N・オーエンこと大江湯女。物語に登場した当初からみーくんとの類似性が殊更に強調されていた人物であるだけに、その頃から本書のような展開が想定されていたのかもしれませんが、考えすぎのような気もします。まあ正直どうでもいいんですけどね(笑)。
 従来の”みーくん”の語り自体も「嘘だけど。」連発の胡散臭い語りではありましたが、語り手の交代による本書の語りはさらに胡散臭いです。物語がフィクションという名の『騙り』であることは今更いうまでもないことですが、にもかかわらず『騙り』を強調する本書の騙りにはどんな意味があるのか?語り手は誰に向かって騙っているのか?そして、何を語ろうとしているのか? それはつまり、誰のために生きているのか?そして、何のために生きているのか?ということでもあります。
 シリーズ当初から一貫している本作の胡散臭い雰囲気は、つまるところ、クレタ人のパラドクスに代表される自己言及のパラドクス(参考:自己言及のパラドックス - Wikipedia)にあります。自己について言及することの難しさを承知しながらも一人称語りを続ける欺瞞の背景には、みーくんにしろ大江湯女にしろ、その生き方を依存というレベルを超えて完全に他者に委ね切ってしまっているという滅私のスタンスがあります。真摯といえば真摯である一方で、欺瞞といえば欺瞞ですし空虚といえば空虚なのですが、面白いといえば面白いです。……大きな声でいえるような類の面白さではありませんが(苦笑)。
 とはいえ、大江湯女の『騙り』には実はそれなりの役割、つまりは聞き手がいます。決して単なる気まぐれで語り手が交代になったわけではありませんので、そこはご安心ください(笑)。そして、前作のラストがどうなったのかという点についてもキチンと明かされています。おそらくは大方の読者の予想通りではないかと思うのですが、落ちが付いたことで心の落ち着きが得られたのは読者としては大事なことだと思います。嘘だけど。
 一応、冒頭から殺人事件とか発生してミステリっぽい展開を辿ります。それも相変わらず悪趣味なものなのですが、まあそんなのはどうでもいいでしょう(笑)。謎から派生する嘘と真実。嘘にとって真実は天敵です。だからこそ嘘は、自らの身に火の粉がかからないよう必要な範囲で謎を解き明かして事件を解決します。ただそれだけのことです。どちらにしても、守るべき嘘は決まっているのですから。
 現状維持がハッピーエンドじゃね?というようなお話だけにシリーズとしての結末が全然見えてこないのですが、もうちっとだけ続く、というのが本当であるならば、そう遠くないうちに何らかの結末を迎えることになるのでしょう。気になるといえば気になりますので、もうちっとだけ付き合ってみたいと思います。
【プチ書評】 1巻 2巻 3巻 4巻 5巻 6巻 8巻 9巻 10巻 短編集『i』