瀬川深『チューバはうたう mitTuba』筑摩書房

チューバはうたう―mit Tuba

チューバはうたう―mit Tuba

第23回太宰治賞を受賞した表題作を含む、3つの短編が収録された短編集です。
本来ならばすべての短編について語りたいのですが、表題作の《チューバはうたう》。この短編集の白眉にして最高の一作だと思いますので、この作品について語ってみたいと思います。*1

チューバという楽器をご存知だろうか?
金管楽器。でかい、重い、音がやたらに低い。
金色の光沢を放つウミヘビがぐるぐるととぐろを巻いて、コンパクトに……まとまってるとは、とても言えない。身の丈一メートル余り、重量十キロ超。幼児よりも大きい。抱えればこちらにのしかかってくる。持って振り回せば、武器になること間違いない。(p5)

物語は、とある女性の独白という形式を取っています。
チューバ吹きである製薬会社に勤務する26歳の女性が、自身のこれまでのチューバとともに歩んだ半生を振り返っています。ユーモアを交え「音楽のように」はずんだ文体で滔々と「チューバと私」を語っているだけなのですが、これがまたことのほか面白いです。
ご存じない方に簡単に説明しますと、チューバという楽器は金管楽器の中で最も大きく、最も低い音が出る楽器です。(参考:wikipedia)そういった性質上、必然的にトランペットのような主旋律(メロディー)を吹く花形パートとは無縁の世界を歩むわけで、ボン、ボン、ボンといったベース音をひたすら吹いている地味な楽器*2というポジションにならざるを得ません。そんな地味な楽器と中学校時代に偶然にも出逢った主人公が、なぜ今までチューバを吹き続けているのか。読者の疑問に明快な解を与えるでもなく、彼女の一人語りは続きます。

では、なぜ、私はチューバを吹くのか?
私自身にとってもうまいこと説明できるとは思えないのだが、いざ、その理由を丹念に解剖していくならば、自分の心理的な偏奇をまともに見つめることになりそうだ。
そこまで手間暇かけて自分を苛むつもりはないので、狡猾にも、私は思考停止する。自分の中の解決できない課題であるとはしても。
だから訊ねられたとき、私は迷わず答えるのだ。
「どうしてチューバを吹いてるんですか?」
「チューバが好きだからです。それに、とてもきれいな音が出るんですよ(笑)」(P7,8)

チューバというマイナーな楽器を吹いていることに対し理由を言語化できない感情と、他者からの理解に対する諦念(そう、それは恋人や家族に対してでさえも!)。なんというか、非常に「これなんてオレ」状態なのですよ。
この主人公にとってのチューバのように、「なんでその趣味なの?」と言われたときに、自身の本心と乖離した「形式的な模範解答」を喋ったり、家族や恋人などからも理解を得ることを諦めている、といった趣味を持つ人は、この主人公と自身を重ね合わせてしまうと思います。マイノリティというハンデを背負っている人が、人々の好奇の目から「なぜ」「なぜ」に晒され、自衛のうちに鎧のように生まれる一見合理的な「理由」。主人公はこれまで数々の「なぜ」に笑顔で回答しながらも、心の奥底では言語化できない「なにか」を持っているのです。
著者インタビューでも

 この作品を分類するならば、音楽小説、楽器小説、女性小説などといろんなラベルが貼れると思います。また、主人公は意固地でありながら純粋であり、屈託を抱えながら一途です。おこがましくも言うならば、多少の多義性を持った作品なのだと思います。
筑摩書房 チューバはうたう

と言っている通り、チューバ吹きの主人公に自身を重ね合わせるもよし、単純に「26歳のチューバを吹く女性」に萌えてもよし、「マイノリティ」に対する世間の好奇と無理解を性別・民族・人種的な視点から考察するもよし、と様々な受け取り方ができると思います。
最後の場面はやや幻想的で突拍子が無いところもありますが、自己肯定欲求の充足にも似た流れに対しては、自身と重ね合わせ好意的な受け取り方ができました。
個人的には(大番狂わせが無い限り)今年読んだ本のなかでもベスト3に入る作品だと思います。
読書好きの方はおおいに共感できると思います。オススメの一冊。
【ご参考】
筑摩書房 PR誌ちくま 2008年5月号 BRAVI! パラレルワールドの我樂多樂團●大熊ワタル
2008-05-27 - 不壊の槍は折られましたが、何か?

*1:表題作以外にも、異国の地で「音楽」が結びつける縁を描いた《飛天の瞳》、田舎町での出前プラネタリウムを描く《百万の星の孤独》が収録されています。表題作が白眉なことは確かですが、残りの2編もなかなか面白いです。

*2:全国のチューバ吹きの方、すみません