『嘘つきは姫君のはじまり―ひみつの乳姉妹』(松田志乃ぶ/コバルト文庫)

 平安時代を舞台にした没落貴族の姫様の乳姉妹である宮子が、ある日突然、名門貴族の抱えるトラブルに巻き込まれてのドタバタコメディ調の少女小説的ロマンスであると同時に、密室からのお姫様の失踪という謎が絡んだ時代ミステリでもあります。
 宮子には昌幸という相思相愛の恋人がいますが、騒動に巻き込まれることでいろんな男性と親しくなっていきます。ちょっとした逆ハーレムとでもいうべき状況ではありますが、それがまったく鼻につかないのは、宮子の乳姉妹である姫君・馨子が三人の男性と掛け持ちしていて、その内の誰が父親か分からない子供をすでに身籠っているという状況から物語が始まっているからです。
 ときにふわふわと、ときにさばさばと語られる宮子と馨子の恋愛観ですが、平安時代という時代における貴族の恋愛観、あるいは政治によって生まれる男女の関係というものを忘れるわけにはいきません。
 本書をミステリとして読み解くときに焦点となるのは大姫の密室からの失踪事件ですが、一義的には物理的にどうやってその密室から大姫が脱出したのかが論点であることは間違いありません。しかしながら、そもそも何故に大姫がその部屋で暮らしていたのか? そして、何故に消えたのか? 物理的な要因もさることながら、その動機、ひいては社会的な要因も見逃すわけには行きません。
 古来より権力は男性が握ってきました。しかしながら、血縁によって権勢を維持しようとすれば、そこにはどうしても女性の優位性というものが生まれてきます。なぜなら、母子の関係は出産という事実によって誰の目にも明らかなのに比べれば、父子の関係というのはあまりにも頼りないからです。ゆえに、そこに嘘と理屈と政治と策謀の生じる余地があるのです。”女を囲う”という表現がありますが、それは何も物理的な側面ばかりではないでしょう。
 そんな密室の社会的な作られ方と開かれ方、そして謎が解明された後の新たな封の仕方といった社会的な意味での密室の開け閉めが、平安時代という時代を巧みに活用して描かれているのが本書の面白いところだと思います。
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