本田透『世界の電波男』三才ブックス

世界の電波男 ― 喪男の文学史

世界の電波男 ― 喪男の文学史

「行こうよ!二次元の向こう側へ!」
と、モテない男(=喪男)に対し、「負け犬の遠吠え」「だめんずうぉ〜か〜」「バブル期のトレンディドラマ」「電車男」などの「あちら側の世界」を「恋愛資本主義」と名付け一刀両断に斬り捨て、「萌えによる二次元恋愛」という「こちら側の世界」にいる住人たちを導き、エールを送り続ける「哲学書」である『電波男』を書いた著者・本田透が、世界の文学を相手に喪男論を語るグローバルな一冊です(笑)。
取り上げる本は『吸血鬼ドラキュラ』に始まり、『タイム・マシン』『夏への扉』などのSF方面から『罪と罰』『源氏物語』などの文学作品にまで及びます。
特筆すべきは、それら全ての作品に対し「喪男」という彼独自の切り口で語っていること。
例えばドストエフスキー罪と罰』を「「喪男が三次元で人間女に萌えて救われる」という、「願望充足の予感」の思考実験(p212)」と称し、はたまた名作・手塚治虫の『火の鳥』を「「永遠にモテネー喪男」の悲劇(p370)」と例えます。

ドストエフスキーは、シベリアで、「萌え」に回心したのだ!(p226

なんていうドストエフスキー論は初めて見ましたよ(笑)。
書評の目的の一つに「未読者がその本を読みたくなる」作用があるのであれば、この本は間違いなく一級品だと思います。
衒学的とも言える様々なオタク知識を盛り込みながら、過去の文学作品を彼なりに「再構築」する流れは非常にスリリングであり、また過去の「大きな物語」でさえ、受容者によって解釈が異なるという当たり前の事実を再認識させられました。
著者の「現実の女おっかねえ!二次元マンセー!」という視点はそれだけで大きな武器であり、「他の文学作品をこの視点で読んだらどうなるんだろう?」と思わせる、そんな一冊でした。