『逆説的―十三人の申し分なき重罪人』(鳥飼否宇/双葉文庫)

「美術は特権的な芸術家によって創作されるものではない、とあなたはおっしゃった。しかし、その結果現れたいわゆる現代美術というのは、ことばは悪いかもしれませんが、なんでもありの状態になってしまった。芸術作品なのか、そうでないのかさえも素人には判断がつかないことがある。正しく鑑賞するには美術史なり芸術界なりに精通しておく必要がある。特権的な芸術家から解放された芸術作品は、こんどは特権的な鑑賞者を必要とするようになったのではありませんか?」
「特権的な鑑賞者など必要ありません」「アートをわかろうとするからそういう発想に陥るのです。繰り返しますが、アートは感じるものなのです」
(本書p63〜64より)

 綾鹿署の刑事・五龍神田巡査部長を主人公にした短編集です。12の犯罪と13の謎というコンパクトな短編が収録された一冊です。これだけコンパクトな短編ですと、単なるなぞなぞみたいな小説らしからぬものになってしまっている場合もありますが、本書はそうではありません。主人公である五龍神田巡査部長を中心としたキャラクタの立ち位置がハッキリしていて掛け合いはそれなりに楽しめます。また、『逆説的』というタイトルが示すとおり、謎の後にヒント(大抵は五龍神田の協力者であるホームレスの”たっちゃん”と”じっとく”から)が示された後に、そこから間違った答えと正しい答えが現れるという二重の推理が楽しめる構造になっています。仮説をこねくり回す推理の面白さが短い作品の中にも詰まっています。それによって本書は単なるなぞなぞ集以上の短編小説集として成立しているのです(もっとも、細かく検証していくといくつかの疑問点があるのですが、そうした点については黄金の羊毛亭さんの感想(特にネタバレ感想)が参考になりますのでぜひお読みください)。
 作中で扱われている犯罪もバリエーション豊かで飽きさせないものに仕上がっています。暴力団同士の抗争やストーカー、おれおれ詐欺ならぬおれおれレイプ(しょーもない)、密輸にテロといった時事的・現代的な犯罪も多くて、短いながらも読み応えがあります。
 なお、本書は短編集ではありますが、作中の時間は短編の並んでいる順番どおりに進んでいます。それに、最後には全編を通じてのちょっとした仕掛けが明らかになるという趣向が施されています。なので、必ず順番どおりに読まれることを強く推奨いたします。



【オマケ】
 以下は法律的観点からの第2話についてのネタバレ雑感です。興味のある方のみお読みください。
 第2話〈火中の栗と放火魔〉の結末において、石井が放火の事後従犯として逮捕されています。しかし、放火には窃盗のような事後従犯の規定*1はありませんので、これは法律的には完全な誤りです。じゃあ、事後ではない従犯(もしくは正犯)としてはどうかということになりますが、火を放ったのはあくまでも奈須本であって石井ではありません。そして、確かに奈須本の放火という先行行為について、石井が早めに消火活動をしていれば鎮火していたかもしれませんが、そうした行動を行なわなかったこと(=不作為)について刑事的な処罰を与えるまでの義務は認められていません。
 本件と類似の判例として、最判昭33.9.9(火鉢事件)があります。この事例は、自己の過失行為によって机等を燃焼させた者が、放置すれば建物を焼損するに至ることを認容しながら消化しなかった場合に、適切な消化行為を行なわなかった者について消化義務を認定(=放火犯と認定)したというものです。これは、自己の行為によって結果発生の危険を生じさせた者は、結果発生を防止できる立場にあり、かつ、社会条理上その防止を期待されているために結果発生の危険を支配できる地位が認められるという考え方です。本書のケースはこの判例の事例と似ていることは確かですが、石井が放火行為を行なったわけではないという決定的な違いがあります。なので、民事的な責任はともかくとして刑事的には、奈須本の放火を見て見ぬ振りをしていたことを理由に石井を処罰することはできないでしょう。
 以上、蛇足ではありますが少々補足させていただきました。

*1:刑法第256条が窃盗における事後従犯の規定です。