絶望先生に見る二次元と三次元の微分積分
- 作者: このマンガがすごい!編集部
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2008/08/07
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 30回
- この商品を含むブログ (23件) を見る
この他にも、糸色望にちなんだ「絶望した! ○○に絶望した!」や、日塔奈美にちなんだ「普通って言うなあ!」など、さよなら絶望先生の登場人物にちなんだコーナーが多数用意されています。
ですが、それを言ったら、そもそも絶望先生の登場人物の設定自体が現実の社会を元に作られたものであることを忘れるわけにはいきません。作者である久米田康治は絶望先生についてのインタビューで次のように答えています。
――ヒロインの設定はどのように決めたのでしょう?
先ほど話した不登校の少女と不下校の少年という設定の名残でもあるんですけど、「社会的に文句をいわれるような属性でも女の子なら許すのか、君たちは?」という疑問があって、それをそのまま描いたんですよ。
(『このマンガがすごい! SIDE-B』所収「作者・久米田康治インタビュー ただなだらかに消えていきたいって感じです。」p33より)
このように絶望先生のキャラクター自体が、いわば三次元を微分して二次元にしたような存在なわけです。したがいまして、そうしたキャラにちなんだ実体験を募集するコーナーというのは、一度微分して二次元にしたものをさらに積分して三次元にするような行為なわけで、つまるところ元に戻しているだけなんですよね(笑)。
じゃあ、そうした微積分に意味がないのか? ということになりますと、決してそんなことはありません。上述の常月まといにちなんだ「愛が…重い!」がそうですが、普通だったらそんなストーカーさんの実体験を募集紹介してもドン引きするだけで聴いても困ってしまうだけでしょう(単に怖いだけかも)。ところが、二次元の美少女キャラというイメージを経由することで、ストーカーさんの可愛い一面、一途な一面というものに気付かされてしまいます。そうしたイメージを抱いてから「愛が…重い!」を聴くとあら不思議。確かにドン引きはドン引きなのですが、以前よりも俯瞰した見方、笑って(引きつり笑いかもしれませんが)受容することのできる余裕というのが生まれてくるのです。
キャラクター化という一瞬のイメージによる感覚的な理解によって生まれる物事に対しての新しい見方。それこそがマンガ、ひいては二次元の効用のひとつだといえるでしょう。
【関連】『このマンガがすごい!SIDE-B』にて久米田康治先生インタビューが終始ローテンションにて掲載 - 三軒茶屋 別館