『ツィス』(広瀬正/集英社文庫)

ツィス 広瀬正・小説全集・2 (広瀬正・小説全集) (集英社文庫)

ツィス 広瀬正・小説全集・2 (広瀬正・小説全集) (集英社文庫)

 神奈川県C市からささやかれ始めた現象。それは、謎のツィス音=二点嬰ハ音が絶え間なくどこからか聴こえてくる、というものだった。はじめは局地的な現象に過ぎないと思われていたその現象が徐々に強さを増して行き、ついには首都圏にまで波及し前代未聞の騒音公害へと発展した。未曾有の騒音によって破壊される日常を描いた一種の社会心理学的SFです。社会が緩やかにパニックに陥っていく様子がとても丹念に読みやすく描かれています。
 本書には、精神分裂病や”つんぼ”といった現在の小説ではあまりお目にかかることのできない言葉が用いられています。1971年に刊行されたままの表現がそのままになっているわけですが、1970年代というのは、騒音公害(参考:Wikipedia)がまさに社会問題として認知された時代でもあるわけで、著者の意志を尊重する意味のみならず、そうした社会的な背景を後世に伝えるという意味でも、刊行当時のままの表現がこれからも維持されていくべきでしょう。
 騒音公害というのは環境基本法において典型7公害として定められているくらい典型的な公害ではありますが、その実態はなかなかに厄介です。ある程度大きな音であれば大抵の人にとって不快な音として認定できますが、しかしながら、快不快の程度は人によって異なります。極端な例ですが、騒音を発している人にとってはもちろん不快でなくても周囲の人間にとっては不快だったりします。また、そうした騒音を客観的な第三者に聴いてもらおうとしても、その騒音がいつも不快な程度に発生しているとは限りません。場合によっては不快な音を聴かされている被害者の耳や精神状態が疑われる結果になり、そうなると不快な状態がさらに深まる、ということになってしまいます。実際、何が騒音で何がそうでないかは個人の心理状態や生まれ育った環境にも多分に左右されます。現代社会はストレス社会でもあります。
 本書は三人称による語りが用いられていますが、まずはイントロダクションで秋葉という精神科医の視点からツィス音という現象の発生が語られます。騒音公害と精神病との関わり。そして、神奈川県C市から始まった奇怪な現象。秋葉医師にも聴こえなくて対応に苦慮していたこの現象ですが、音響学の専門である日比野教授が事件に関与することで、事態は一気に動き出します。続く第一章(レベル1)からは、日比野教授を中心としたツィス音の特番を組んで情報を伝えるテレビクルーたちの視点と、聴覚障害者であるためのツィス音という現象を客観的に捉えることのできるイラストレーターの榊の視点と、二つの視点から、ツィス音によって変貌していく首都圏の様子が描かれていきます。
 上述のように、騒音公害というのは単に音だけでなく聴き手である側の心理的環境的条件によって受ける被害も変わってきます。そして、マスコミというメディアはその心理的社会的条件にかなりの影響力を持った存在です。単にツィス音という現象についての情報を収集するだけでなくて、発信することによって社会が変わっていきます。ツィス音の被害レベルが上昇していくにつれて、テレビのあり方というのも変わっていきます。誰もが音の出ない番組を求めるようになっていきます。そうした過程は、時代背景的に著者にそんなつもりがなかったのは明らかですが、若者の興味がテレビからネットへと移りつつあるメディアの変化を予言しているようにも受け取れるのが少し面白かったです(笑)。
 一方、聴覚障害者である榊にとって。ツィス音がいくら鳴っていようが自身にとっては何の問題もありません。ただ、身近にいる恋人と、そして社会自体がツィス音によって変化していきます。そうした状況に対しては榊も対応しないわけにはいきません。耳が聴こえなくて不自由な生活を強いられていた彼ですが、ツィス音のレベルが高まるにつれて誰もが聴覚障害者となってしまいます。それによって相対化されていく差別の様子はとても興味深いです。
 ツィス音が鳴っているといっても、読者にとっては榊と同じくそれが聴こえてくるわけではありません。小説である以上、読者は目で文章を追うことで物語を堪能しているわけですから当たり前といえば当たり前の話です(笑)。しかしながら、本書において表現されている社会の変化は実に緻密に計算されたものですし、その配慮も隅々にまで行き届いています。また、それによって苦悩する人々の姿も説得力があるものとして描かれています。そうなりますと、読んでるこっちの耳にもまるでツィス音が聴こえてくるかのような気分になってきてしまいます。だからこそ、本書の結末には感嘆の念を禁じえません。紛れもない傑作として、すべての本読みにオススメしたい一冊です。