森博嗣『スカイ・クロラ』中公文庫

スカイ・クロラ

スカイ・クロラ

森博嗣スカイ・クロラ』シリーズ最終巻です。
スカイ・クロラ』シリーズ最終巻ですが、単独でも楽しめます。
ちなみにフジモリは刊行順が最初だったこともありこの本から読んでいます。
というわけで初読時の書評はこちらです。
三軒茶屋本館 フジモリの書評 森博嗣『スカイ・クロラ』
シリーズ最終巻として読むとまた違った感想が生まれます。
以下、全5巻を読んだかた推奨です。

あらすじ

本館と重複しますが、改めてあらすじを。
 新任のパイロット「カンナミ・ユーヒチ」は草薙水素の部隊に配属される。
 カンナミたちは、「民間企業」に所属していて、思想も敵も知らず、飛行機「散花」に乗り、相手を撃ち、殺す。
 そしてカンナミは、草薙も自分と同じ「キルドレ」であることを知る・・・という話です。

シリーズ最終巻としての『スカイ・クロラ

ナ・バ・テア』にはじまるそれまでのシリーズ4巻を読むと、『スカイ・クロラ』初読時に浮かんだ疑問がほとんど解決されていることに驚きます。
キルドレとは何か?
前任者・クリタジンロウの死の理由は?
ティーチャとクサナギとの関係は?
そしてまた、カンナミがクサナギに対し「あなたもキルドレですね」と言った発言の真意がわかります。本来であれば少年少女の姿のまま体の成長が止まるキルドレ。しかしクサナギの見た目は20歳後半(p91)。これは、貫禄をつけるために老けたようなメイクをしている(若作りならぬ老け作り)のではなく、妊娠により一時期キルドレではなくなり止っていた体の成長が再び始まった、そしてまたサガラにより再び「キルドレ」に戻った、ということを意味していたのです。
単独で読むときに比べ、背景の情報を得ることでそれまで読んでいた風景が騙し絵のごとくがらっと変わる気分を味わいました。
S&Mシリーズは言うに及ばず、森博嗣は巻を跨った伏線を張ることが非常に巧みですが、最初に刊行した『スカイ・クロラ』で伏線を回収する、という構成にはただただ舌を巻くばかりです。

物語のテーマ

しかしながら初読時と同様に、この物語のテーマはやはり「永遠の生」と「戦争」だということを強く感じました。『クレイドゥ・ザ・スカイ』の書評でも書きましたが、「永遠の生を持つがゆえに死に密接する職業につく皮肉」が浮かび上がってきます。
映画『スカイ・クロラ』も予告編を見る限りはこの2点を主眼に据えたものと見受けられますので、監督・押井守がこの物語をどう料理するか楽しみにしたいと思います。

草薙水素の物語

物語の最後で、クサナギは死を望みます。
かつて「空で死にたい」と願った純粋なパイロット・草薙水素の姿はそこにはありません。再びキルドレに戻ったものの、もはや彼女は「子供として生きるには歳を取りすぎた」のでしょう。
それはまた、彼女を殺したパイロットであるカンナミ・ユーヒチとの会話にも伺えます。

「死にたいと思ったことはない?」
(中略)
「あるよ」僕は頷いた。「誰でも、あると思う。当たり前のことじゃない?」
「そういうのとは、次元が違う」草薙の口調はますます冷静になった。(p184)

ゆるやかに無限の生を生きるキルドレにおいても、「世代交代」という波があるのでしょう。「飛べない豚はただの豚だ」という明言もありますが、「飛ぶこと」をモチベーションとしていたクサナギが飛ぶことを諦めざるを得なかったとき、そこから既に彼女の「死」は始まっていたのかもしれません。
シリーズを通して読むと、この物語は草薙水素の成長、そしてその解放に至る一つの大きなサーガだったことに気づきます。英題である「The Sky Clawlers」の如く、彼女(たち)はコクピットという棺桶に包まれたまま空を這い続けます。意味を持たず、ただただ空を飛びたいから。

終わりに

スカイ・クロラ』は単独で読んでも楽しめますが、全巻通して読むとまた新たな、そして大きな発見があります。
詩のようにテンポ良い文体で読者に情景を浮かばせる「受動的な」読みを可能とする筆力を持ちながら、数々の謎を散りばめ物語の背景を考えさせる「能動的な」読みを読者に要求します。
非常に満足できるシリーズでしたし、ミステリ以外のシリーズとしては現時点での森博嗣の最高傑作と断言しても過言ではないと思います。
能動的な読みを必要とするがゆえに映画からポロロッカされた方すべてにはオススメできないかもしれませんが、一読の価値はあるシリーズだと思います。