『マイナス・ゼロ』(広瀬正/集英社文庫)

マイナス・ゼロ (集英社文庫)

マイナス・ゼロ (集英社文庫)

 タイムトラベルSFの傑作として広く知られながらも長らく入手困難だった本作ですが、このたびの復刊によってようやく入手することができました。良かった良かった。感無量です。
 もっとも、なまじ前評判などが自分の中でふくらんでしまいますと、いざ実際に読んだら期待し過ぎてガッカリ、などという理不尽極まりない読後感を覚えることもあったりしますが(笑)、本書に限ってはそんなことは全然ありませんでした。噂に違わぬ傑作だったことを非常に喜ばしく思っています。
 タイムトラベルSFならではの問題であり醍醐味でもあるのがパラドクスの処理と、そこから派生する”親殺しのパラドクス”、ループ、もしくは”パラレルワールド*1といったSF的あるいは物理的な問題です。それらについてどのような解決や解釈をほどこすのか、というのがタイムトラベルSFを評価する上で大事な要素であることは間違いありません。
 しかしながら、誤解を恐れずに言えば、本書の一番の魅力はそこではありません。1963年の現代から1932年(昭和7年)という過去へとタイムトラベルしてしまった浜田俊夫。1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」といわれる程の脅威の復興と発展を遂げた日本ですが、それだけに、昭和初期の時代で生きていかなくてはいけないというのは大変なことです。現代の人間が過去の人間として生きていくために、自分の中の知識や常識といったものを、その時代のそれとつなぎ合わせて生活していこうとする姿。理論ではなく実地としてのパラドクスの解決がそこにはあります。ここで私は”現代”という言葉を使いましたが、俊夫にとっての現代は1963年ですから、私にとっては生まれてもいない頃のお話です。そうした意味では、読書的には二重のタイムトラベルといえます。
 日本人の若者にとって昭和の初期というのは、「戦前」という言葉が端的に示すように、戦争というフィルターを通さずに見るのが難しい時代です。何が日本を戦争に走らせたのか、戦争によって日本はどのように変わって行ったのか。人々はどのような暮らしを強いられるようになったのか。そんな、上から目線といいますか、まず戦争と大日本帝国の運命というものがあって、その次に当時の人々の暮らしが語られる、というような段階を踏むのがしばしばです。しかしながら、当たり前のことですが、そうした時代であっても人々は生きていますし、そこには暮らしや生活というものがあります。それは必ずしも国や戦争といったものと結びつけて考えなくてはいけないようなものではありません。歴史的には”嵐の前の静けさ”なのかもしれませんが、穏やかで平和な時代というものがありました。そんな当時の人々の暮らしを、本書は戦争を飛び越えて、生活感溢れる当時の日本の情景というものを懐かしさのようなものと一緒に伝えてくれています。
 1924年生まれの著者だからこそ成し得た描写だといえるでしょうが、そこに暮らしている人々と、そこで暮らしていこうとする俊夫の姿がとても面白いですし胸打たれるものがあります。今を大切にして未来を見据えて生きること。タイムマシンに乗ろうが乗るまいが、それがとても大事なのです。これも本書がSFであることの意義のひとつだといえるでしょう。
 そんな昭和初期の日常の暮らしの中に潜んでいる不思議な事象。それは紛れもない伏線です。物語の結末においてそうした疑問や矛盾点などが明かされ、解決されていく展開には爽快感を覚えずにはいられません*2。確かに現代から来た人間が過去の世界を生きていくことが本書の主題ではあるのですが、しかしながらタイムトラベルSFとしても傑作であることは疑いようがありません。とても不思議でとても面白い作品です。SF色はそんなに強くはないにもかかわらずSFとして大傑作という本書は、SFファンのみならず多くの方にオススメできるお気に入りの一冊です。

*1:シュレディンガーの猫」の理論などによって補強されることもあります。

*2:完全無欠の結末、というわけではありませんが、タイムトラベルSFとは得てしてそういうものでしょう。