『百物語 浪人左門あやかし指南』(輪渡颯介/講談社ノベルス)

百物語 浪人左門あやかし指南 (講談社ノベルス)

百物語 浪人左門あやかし指南 (講談社ノベルス)

 前作『掘割で笑う女』に続くシリーズ2作目となります。本書単品でも楽しめないことはないですが、シリーズものとしての人間関係とかがありますし、また、怪談とミステリの融合というシリーズ全体としての試みを理解するためにも、やはり前作と併せて読んだ方が無難でお得だと思います。
 作中作として怪談話が挿話されているという構造自体は前作と同様ですが、視点の変化はそれほど複雑ではないので、前作よりはずっと読みやすいものになっています。
 怪談とはいったい何? ということを考え出しますと私など困ってしまうのですが(笑)、”談”の字がある以上、単なる怖い物語であるだけでなく、それが談話として語られるのが本来の怪談なのでしょう。小説が本という形で世に出回る場合には、作家と物語とは切り離されることになりますが、怪談の場合には、語り手が直接語るため、そこには切り離せない何らかの意図や思惑があるはずです。それは、相手を楽しませたい・怖がらせたい・騙したい、といった様々な動機が考えられますし、目的によって怪談の中身のみならず語られ方も変化することでしょう。
 怪談の”怪”は怪しいという字です。それには、本当に不思議なものに出会った人間が、その不可思議に説明をつけるためにあえて虚構という怪しい物語を解答とすることで因果を閉じるという役割もあるでしょう。それとは違い、都合の悪い真実を怪談によって隠蔽するということもあるでしょうし、あるいは直接には語りえぬ真実を怪談に仮託するということもあるでしょう。
 そんな怪談にとって、ミステリ的な考え方は実は天敵です。それによって、偽の真相や抱く必要もない恐怖といった事柄からは逃れられるというメリットはあるのですが、そのついでに怪談の面白さをも台無しなものにしかねません。本書の場合も、幽霊嫌いで怖がりの甚十郎がワトソン役で怪談好きで何事にも飄々と対応する左門が探偵役である以上、物語のフレームはミステリです。なので、本来なら無粋な試みに堕してしまってもおかしくはないのですが、そうはならないのは、怪談を解体してもなお残る人間への興味、怪談に込められた人為というものが描かれているからでしょう。
 本書では、怖がりの甚十郎が何を間違ってか百物語の怪談会に顔を出すことになってしまいます。しかしそれによって、いくつかの謎が生まれ、過去の事件を再び甦らせることになります。そうした事象の中心には、甚十郎が参加することになった百物語があります。多くは語れませんが、騙り合いの中に隠された語り合い。怪談というものの性質を上手く利用した物語作りに感心させられました。
 江戸時代といった舞台設定や真剣での斬り合いといった活劇も用意されている割には、よく言えば堅実、悪く言えば地味なのは相変わらず否めないところではありますが(笑)、でも、恐怖(ときに滑稽)と理のハーモニーは独特なものですので、それなりにオススメの一品です。
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