『憂鬱アンドロイド』(真嶋麿言/電撃文庫)

憂鬱アンドロイド (電撃文庫)

憂鬱アンドロイド (電撃文庫)

 書店の本棚を物色していたらカトウハルアキ*1のイラストが目に付いたので表紙買いしてみました。SF的にはまったくオススメできませんが(笑)、それでもなかなか面白かったです。
 自分のことをアンドロイドだと信じきっている少年・小田桐正機。そんな彼の周囲の人物の視点で描かれる4つの連作短編集です。
 さしたる設定とかの説明もないまま、自分のことをアンドロイドとか言い出す人物が自然と物語の中心になってしまう背景には、やはりネット社会の発展と浸透がいうものあるでしょう。相手のことを深く知らないままのコミュニケーションが自然なものとなっていて、だけどそれが決して悪いことでもなくて、むしろそうした会話によってこそ得られるものがあるという社会。社会が変われば描かれる物語、求められる物語もまた変わっていきます。
 4つの短編すべてにいえるのですが、小田桐正機視点の物語はひとつもありません。これはなかなかに巧みな構成だと思います。チューリング・テスト(参考:Wikipedia)というものがあります。ある機械が知的(人間的)が人工的かを試すためのテストですが、それを他者との会話を通じて人間的か否かを判断するという方法です。たとえ実際には機械であったとしても、会話を通じて知的だということが認定されれば、それは人間性を有するということになってしまいます。それはテストとしては失敗ということになりますが、果たしてそれは人間性というものの意義にどれだけ関わってくるものなのでしょうか? チューリング・テストとは、問われる者だけでなく問いかける者もまた試されるテストなのです。
 自己のアイデンティティ、初恋、将来への不安、生きる意味。そうした思春期ならではのテーマを正面から扱った姿勢にはとても好感が持てます。もっとも、各テーマに対しての踏み込みは決して深いものではないので、物足りなさを覚えるのも確かです。その反面、誰にとっても読みやすい汎用性を有しているということも言い得るでしょう。なので、ライトノベルというレーベル的には正しいアプローチなのかもしれません。シチュエーション的には必ずしもハッピーエンドとは言い切れないものばかりなのですが、読後感はどれもさわやかで前を向けるものになっていて、そうした点にも好感が持てます。
 憂鬱アンドロイドというタイトルの意味は物語の最後に説明されます。個人的には少々野暮で無用の説明だと思わないでもないのですが(笑)、とても素敵なコンセプトで、それが作品としても素直に表現されています。こそっとオススメです。

*1:このころは珈琲というペンネームでした。