『チャット隠れ鬼』(山口雅也/光文社文庫)

チャット隠れ鬼 (光文社文庫)

チャット隠れ鬼 (光文社文庫)

 本書は、そもそも2004年にインターネット配信されていたものが加筆・修正されて書籍化されたものです。ネット配信であり、かつチャットを題材にしていて作中にもチャットの様子が描かれているということもあって、本書は横書きという珍しい体裁をとっています。いや、横書きの本を読むこと自体はそんなに珍しくもなければ苦にもならないのですが、文庫だとちょっと珍しいですし、右手の親指に意識を払ってページをめくるという動作に最初は少々戸惑いました。そんな戸惑いが、物語の冒頭でチャットというものに戸惑っている祭戸の心境と奇妙にシンクロしてきたのが妙におかしかったです(笑)。
 チャットでの会話は、基本的に互いの顔を見ることができません。なので、ネット上にはリアルとは違った一面を容易に作り出すことができます。もちろん、それは何もネット上に限らず私たちが日ごろ普通に行ってること(ペルソナ)の延長に過ぎないとはいえますが、性別や年齢を偽ったりというのはやはりネットならではでしょう。それはネット上に新たな一つの人格・キャラクタを作り出すのに等しいです。そうした人格作りを、あくまでも自分自身の一側面として制限的に行う人もいれば、逆にネットだからこそのキャラ作りを積極的に行う人もいることでしょう。そうして作られたキャラクタに、いつの間にか引っ張られてしまう自分がいる。作中でいうところのチャット依存症の恐ろしいところです。
 そんなふうに人の一面を簡単に隠したり隠されたりできるからこそ、そこにはやはり危険がつきまといます。ネット犯罪とは何か? などということは今では特段説明するまでのない当たり前の事象になってしまいましたが、それをミステリ・サスペンス仕立ての犯罪小説としているのが本書です。ネットやパソコンに詳しくない私のような人間にとっても分かり易く、しかしながら、他愛もないチャットでの会話の中から矛盾点を見出して相手に突きつけるというゲーム小説的な小技が楽しい佳品に仕上がっています。ネットの虚構性やアイデンティティの希薄さというものも自然な形で物語に取り込まれていますし、ページ数的にもコンパクト(解説込みで270ページ)なので気軽にオススメできる一品です。

 以下は余談です。実はうちのサイトも最初期の頃にはチャットがありました。誰もこないのですぐに止めちゃいましたが、今やったら誰か来てくれるのかしら?(笑)
 それはさておき、昔はそれなりに魅力的だったチャットというシステムも、現在のネット状況ではあまり目立たないものになっています。本書では、チャット=雑談なのだから会話の濃さを期待するのが間違い、というような説明がなされています。確かにその通りでしょう。しかしながら、誰もが簡単にブログを開設できるようになっている昨今では、チャットのみならずネット上でのやりとり自体が基本的に濃度の低いものになってきています。「ブログのチャット化」などという言葉を目にすることもありますしね。ブックマークコメントやミニブログなどはそうした方向にさらに拍車をかけています。
 それが良いとか悪いというような問題ではないのは分かっています。ただ、私自身としては、こんな時代だからこそ、少しでも中身の濃い会話ができたらいいなぁと、それくらいのささやかな矜持はあってもいいと思っています。