森博嗣の編集者考

ガッシュ裁判にちなんでというわけではないですが、森博嗣が編集者についての考察を。
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2008/06/post_1929.php

 漫画の世界が、わりとこれに近いと聞く。作家はたいてい若い。また、描ける人間、描きたい人間はいくらでもいる、売れるか売れないかなんて、編集部の売り込みしだいだ、と考えがちである。つまり、作家は単なる下請け業者(しかも交換が可能な)であって、需要を作っているのは編集者であり、売り込んでスターを生産するのも編集者だ、と考えている人がいてもおかしくない。この頃、文芸でも若い作家が多いから、既にこんな世界になっているのかも。
 しかし、基本的にこれは考え違いだ。ちょうど、出版社の営業部が書店に出向いて営業をするときに似ている。出版社の人は自分が本を作っている、という立場でものを言う。一方書店の店員は、自分が需要を作っている、という顔をする。けれども、この両者は、実は生産者でもなければ、消費者でもない。単なる流通の中間ポイントにいる人間にすぎない。そういったサービスとしての立場を忘れると、いずれはそのポイントを飛ばされ、生産者と消費者が直接アクセスすることになるだろう。
 作家担当の編集者は生産者ではない。あくまでも効率を高め、情報の流れを良くする機能を担っているにすぎない。だから、マネージメントやサービスに努めるべきだ。ときどき、「あの作家は俺が売り出してやった」と自慢する編集者がいるけれど、聞くたびに白けてしまう。優れた編集者は、必ず謙虚である。僕の知るかぎり、例外は1人もいない。否、これは、編集者に限らないだろう。

 基本的にガッシュ裁判では雷句ガンバレ派なのですが、作者がブログで言っているように「サンデー買わない」とか言うのもお門違い且つ他の漫画家にダメージを与えてしまうので考え物です。しかしながら雑誌や単行本が今までどおり売れるのであれば、極端な話これまでと何にも変わらない可能性もあるわけです。
 森博嗣がブログ内で言及したように、「生産者と消費者が直接アクセスする」仕組みが必要なのでしょうか。うーむ。