『サラマンダー −無限の書−』(トマス・ウォートン/早川書房)

サラマンダー―無限の書

サラマンダー―無限の書

 18世紀。ロンドンの印刷屋フラッドはスロヴェキアの城に住む奇書コレクターの伯爵に招かれて、そこで奇妙な依頼をされます。「始まりも終わりもない無限に続く本を作成せよ」と。フラッドは伯爵の美しい娘イレーナの助けを借りながら仕事にあたりますが、いつしかイレーヌと愛し合う仲になります。しかしそれが伯爵の逆鱗に触れ、フラッドは城の地下に幽閉されてしまいます。それから11年後。彼の娘を名乗る少女パイカが現れて、究極の書物を作るための不思議な冒険の旅が幕を開けます……。といったお話です。
 何とも奇妙なお話です。人の人生はときに一冊の本に例えられます。それは、始めと終わりのある物語だからこそでしょう。であるならば、無限の書を作りたいという夢の根源は不死を願う気持ちと重なるものがあるのかもしれません。
 作中で無限の書を作るように依頼されたフラッドは、とりあえず様々な工夫に取り組んでみます。反射によって言葉を再生させて文章を永遠に繰り返させる鏡で出来た本とか、メビウスの輪のような巻物に描かれた物語とか。そういったアイデアだけでも私的にはとても面白いと思いましたが、でもあっさり没になってしまいます。もったいない(笑)。
 そもそも、無限とはいったい何なのでしょう。そんなものが実際に存在するのでしょうか。存在するとしても、どのように実現させればよいのか。仮にハードの問題をクリアできたとしてもソフトの問題が残ります。無限に続く物語など誰が描けるのか……。
 フラッドが伯爵の城に招かれてイレーヌ、あるいは伯爵の客人である神父と無限、無限の書、無限の物語について語り合うところまでは、地に足がついた物語として進んでいきます。ところが、フラッドとイレーヌの愛が発覚し、フラッドが地下牢に幽閉されたあたりから、物語の現実性が一気に揺らいでいきます。孤独で無為な地獄に生きることを余儀なくされたフラッドは、空想の印刷機械を用いて無限の書を作成しようとします。それは狂気の物語ですが、それしかフラッドが理性を保つ方法はなかったのです。
 そんな彼の前に11年ぶりに現れた他者。彼の娘であるパイカもまた変わったキャラクタです。パイカという名前は”カササギ”あるいは”活字”を意味しています。彼女は皮膚病を患っていますが、その皮膚の様子といい、また、水中で息ができたり時間のない世界を泳いだりすることができます。こうした特徴はタイトルである”サラマンダー”を連想させるものではありますが、では、サラマンダーとはいったい何なのでしょうか。
 パイカによって地下牢から抜け出すことが出来たフラッドは彼女や城に残っていた仲間たちと一緒に無限の書を作るための材料探しの旅に出ます。魔法の活字。哀しみを誘うインク。伝説の最高級紙。フラッドとパイカたちは世界の様々な地を巡ることになるのですが、そこで起きる出来事はどこか幻想的です。そして、本書の物語は不思議な結末を迎えます。解説にもあるとおり、一応結末ではありますが、これで完結といえるのかどうか怪しい結末です。物語を閉じさせないことによる無限性の担保なのかもしれませんが、読後には独特な余韻が残ります。
 作中、無限の書を巡る冒険のなかで、主観時間における無限を体感することによる無限性の実現と思しきシーンがあります。それもまた無限であることには間違いないのかもしれませんが、しかしながらとても危険で不毛な魔境です。そうではなくて、広くて遠い世界を体感するための無限の書と無限の物語。
 作者は本書についてのインタビューで次のように語っているそうです。

 本棚から一冊をひきぬいたとき、読者はそこにどんなことが書かれているのかと想像する。そしてじっさいに読みはじめると、前に読んだほかのいろんな本を思い出して、今読んでいる本の内容にそれがはいりこんでくる。どんな物語なのか、どこへ連れていってくれるのかとわくわくする。創造性に富んだ本がぼくに与えてくれるのはそういう期待感であって、大事なのはページに書かれていることだけじゃないんだよ。
(本書p370より)

 パイカはとても魅力的で不思議なキャラクタです。しかしながら彼女の名前が意味するのは活字です。彼女自身もまた活字であることを選びます。とても彼女らしい活字を。そして、その活字こそがサラマンダー、すなわち炎の中でも生き続ける永遠の書物を象徴する《火トカゲ》の意味するところなのではないのかなぁと。もっと言えば、無限の想像力こそが無限の書の正体ということではないのかと思うのですが、自信はまったくありません(苦笑)。もう一度読み返せばまた違った読み方が生まれることでしょうし、それもまた無限のひとつのかたちです。
 奇妙なお話なのであまり広くはオススメできないのですが、本フェチの方にはそれなりに楽しんでいただけるのではないかと思います。
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