『僕はここにいる』(飯田雪子/講談社X文庫)

僕はここにいる (講談社X文庫ホワイトハート)

僕はここにいる (講談社X文庫ホワイトハート)

 本書は、1995年に刊行されたものの復刊本で、微妙な直しはあるものの、ほぼ当時のままで復刊されたそうです。当ブログのお客様の層がどんなものなのか正直よく分からないのですが(笑)、ひょっとしたら懐かしく思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 巻末の作者あとがきでも触れられているように、本書の物語は児童文学の影響が濃厚に感じられるものになっています。ライトノベルというカテゴリが生成されて児童文学との峻別がなされている昨今にあって、あえて本書のような物語を刊行するところに講談社?文庫の気概が感じられる気がしたりしなかったりします。今は亡きソノラマ文庫などはライトノベルジュブナイルの合い間に位置する存在だったと思いますが……。
 閑話休題です。
 中学一年生の春。祖父の死をきっかけに涼香は東京から家族と一緒に祖母の住む家へと引っ越して新しい生活を送ることになります。慣れない環境にぎこちない友人たちとの会話。それでも少しずつ学校生活にはなじんでいくものの、家の中の空気はなぜか険悪なものになっていきます。そんなある日、涼香の前に不思議な人が現れて……といった感じのお話です。
 基本的には主人公である涼香の視点から語られるジュブナイルです。翠の存在や色の反転といったファンタジーな設定は涼香の成長を描くためのものとして機能しています。成就しない恋の物語。それはファンタジーだからこそ語り得る婉曲的で優しくて、だけど本質的には辛いお話です。でも、読後感は決して悪いものではありません。
 ただ、作者もあとがきで述べているとおり、大人目線で読むとやはり涼香の目から見た母親の姿がとても印象に残ります。母親から受ける理不尽を許すだけじゃなくて、それを理解して救おうとする気持ち。それが母親のためだけではなくて自分のためでもあるわけで、とかいってしまうと利己主義で冷やかしてるように思われちゃうかもしれませんがそんなことは全然なくて、家族の大切さというのは多分そういうことなのです。娘から母への補助線がうっすらと引かれているところが、本書がジュブナイルとして優れている点だと思ったり思わなかったりしました。