『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 4』(入間人間/電撃文庫)

 壊れたまーちゃんのために元我が家に何か思い出の品はないかと探しにいったらそして誰もいなくなった的なサバイバルに伏見と一緒に巻き込まれちゃったみたいなお話です。
 明らかに続きものなので次巻を読まないと何ともいえません。ということであまり語れることもないのですが、あえて語るとすれば伏見祭り自重(笑)。まるで少年漫画の人気アンケートで1位になったかのような優遇ぶりです。もっとも、このシリーズの場合には出番があることが必ずしも幸福だとは限らないんですけどね……。
 元我が家である大江家に閉じ込められちゃってクローズトサークルになっちゃう過程は少々強引ではあるのですが、しかしながらセキュリティに力を注ぐということは外部からの侵入が困難になることを意味するわけですから、こんなかたちで閉鎖的な状況が生まれてしまうのもあながち無茶とは言い切れません。ちょっと面白いと思いました。
 作中のそこかしこにクリスティの有名ミステリ『そして誰もいなくなった』を思い起こさせる描写があります。また各章題も、『きせいちゅうの殺人』は倉知淳寄生虫館の殺人』*1、『ナイフに死す』はクリスティ『ナイルに死す』、『冷たい死体の時は止まる』は辻村深月『冷たい校舎の時は止まる』、『殺意の拡散する夜』は西澤康彦『殺意の集う夜』といったミステリのタイトルが元ネタになっています*2。そうしたことから、本書ではそこはかとなくミステリっぽい雰囲気が醸し出されています。とはいえ、物語はいつもどおりのみーくんまーちゃんです。歪んだ人間に歪んだ状況。むしろ、クローズドサークルという状況にあるからこそ、普段みーくんが置かれている日常のサバイバルさを改めて実感させられます。
 探偵役が主人公の一人称視点のミステリというのは元来ハードボイルドと呼ばれるものが主流を占めてきました。それまでのミステリとは違って探偵を生きた人間として描くことを目的としたそうした作品は、内面的な描写を捨てて外側の現実を書き綴っていく乾いた文体が特徴とされます。『春季限定いちごタルト事件』などで知られる米澤穂信の作品は、そうしたハードボイルドの手法を意識しながらも主人公の内面を書いたり書かなかったりすることで独特なミステリを描いてます。
 ところが、本シリーズ、あるいは戯言シリーズなどもそうですが、これらの作品では外側で起きている現実よりも内面的な描写が明らかに重視されています。「タフでないから、生きていけない。やさしくないから、生きている資格がない」*3といった感じです。それでも、タフでやさしくなろうとしているんだと……思うような思わないような(苦笑)。いや、本質的にはそういうお話なんだと思います。嘘じゃなくて。
 しかも、「誰が犯人か」とか「どうやって殺したのか」といったミステリ的な興味にはほとんど触れられることがなくて、主人公の苦悩や自嘲、あるいは小ネタまみれにして真相を誤魔化すことでミステリとして成立しています。こういう展開を許せるのか否かは評価の分かれるところではあるでしょうが、まあいいんじゃないですか(笑)。ミステリ的なパズルゲーム*4よりも、閉鎖状況の中を生き残るサバイバルゲームの方が重要なのは確かなわけで、そういう意味では極めて今風なミステリであるといえるでしょう。
 とはいえ、本書が面白いといえるかどうかは次巻の展開にかかってます。ここまで本書について割と好意的に語ってきたつもりなだけに、次巻を読んでガッカリしないことを願うばかりです。
【プチ書評】 1巻 2巻 3巻 5巻 6巻 7巻 8巻 9巻 10巻 短編集『i』

*1:『日曜の夜は出たくない』(創元推理文庫)収録の短編

*2:多分。

*3:レイモンド・チャンドラー『プレイバック』の「タフでなくでは、生きていけない。やさしくなくては、生きている資格がない」より。

*4:もともとそっち方面に力点が置かれてはないですが。