『DOORS 1・2』(神坂一/角川スニーカー文庫)

 おかしくなってしまった世界を修復するために美弥たちが様々な異世界を往ったり来たりするお話です(全2巻完結)。基本的にはコメディありパロディありなパラレルワールドな物語です。触手とか絵的にはインパクトが強めな話もありますが(笑)、全体としてそんなに笑えるとは思いませんでした。ただ、本書が抱えているジャンル的な問題*1と、ひいては本書のテーマはちょっと面白かったです。
 パラレルワールドときくとSFっぽいですが、実際にはSFが支配する世界とかファンタジーが支配する世界とかあって、こうなると何が何やら分からなくなってきます(笑)。
 SFとファンタジーの違いについては諸説あることと思われますが、そんななかでもフレドリック・ブラウンが提唱している以下のような考え方が一般的なものではないでしょうか。。

 広義の幻想文学という点からみれば、むろんSFはファンタジーの中に含まれる。
 しかし純粋のファンタジーは、SFとは区別して定義できる形態である。定義をそのように限定すれば、両者の相違は、おのずから明らかになる。
 ファンタジーは存在せぬもの、存在しえぬもののことを扱う。
 一方、SFは、存在しうるもの、いつの日か存在するようになるかも知れぬものを扱う。SFはみずからを、論理の領域の中の可能性に限定するのである。
 御伽噺はファンタジーの原型である。こうした物語を読むとき、われわれは妖精や魔女や巨人や超自然的なものにすいて半信半疑の気持で読んでいるが、作者が受け入れるように求めて引き合いに出したものは、問題なく受け入れる。つまり、われわれは、こうしたことが可能であることを納得させてくれ、と作者に要求することはしないのである。
 しかるにSFは、読者の気持が、半信半疑であることを要しない。それは、われわれが知るところの宇宙を背景にして投影された物語である。宇宙は、ありがたいことに、いまだに、SFが利用できる以上に広範なイマジネーションを与えてくれる。それというのも、われわれは、じかに、このような宇宙の微小な断片を知っているからだ。妖精や人狼よりも不気味な生物が、他の惑星にすんでいるかもしれない。
フレドリック・ブラウン『天使と宇宙船』p8〜9より)

 こういう風に説明されれば、SFとファンタジーはいかにも明瞭に区別可能なものに思えてきますが、しかしながら実際にはSFともファンタジーとも言いがたいけど、それでいてリアリティに欠けた物語というのはたくさんあるわけで、そういうのを前にすると定義や概念がきっちりしていないと気がすまない分類厨は苦悩することになるわけです。本書がまさにそれに当たります。
 本書では、世界の変化に伴ってそこで生活している人間の常識も変化していて、それが普通のものだと思っています。ですから、主人公である美弥の「おかしくなってしまった世界を修復しなければ」という認識は極めて例外的なものです。美弥の妹の智紗は一緒に旅に付いて来てますが、でもそれは世界を直さなければとか思ってるわけではなくて、ただ他の世界を見てみたいからという海外旅行な気分の延長に過ぎなくて*2、世界がこのままでも別に構わないと思っています。なので、美弥がこのままでいいと思えば世界はこのまま*3ということもあり得るわけです。元の世界がよいのか。それともおかしな世界がよいか。このような個人と世界の関係からSFとファンタジーの違いを区別するものとしては、テッド・チャンの次のような考え方があります。

 科学と魔法の違いにわたしが興味を持つのは、それがSFとファンタジーの違いの一面を体現していると考えるからだ。この二つのジャンルの関係はひどく複雑なので、魔法と科学が両者を分ける唯一の基準だというつもりは毛頭ない。だが、私見によれば、SFでは、宇宙の法則が個々の人間を識別することはない。宇宙はある人間を別の人間と区別しないし、人間と機械を区別しない。ファンタジーでは、宇宙の法則は、人間の個性という概念を認識している。他の人間にとってだけではなく、宇宙自体にとって特別な個人が存在する。
(『S-Fマガジン』2008年1月号所収「科学と魔法はどう違うか」p47〜48より)

 つまり、世界からみて特別な人間がいるか否かでSFとファンタジーを区別する考え方です。この考えに照らし合わせますと、『DOORS』はとりあえずはファンタジーということになるのでしょう。しかしながら、そんな単純なものではありません。(美弥からみて)おかしな姿になってしまった智紗を元に戻すために美弥は冒険を続けてきました。しかし、世界が少しずつ元通りになりはじめて、智紗の姿も人間に戻ったとき、美弥が冒険を続ける理由が揺らぎます。元の退屈な普通の世界よりも、おかしな世界のままでもいいんじゃないか。でも美弥は世界の修復を続けます。それは決して消極的な決断ではありません。旅を続けるうちに気が付いたのです。普通だと思っていた元の世界にも知らないところがたくさんあることを。普通の世界を知りたいと思うその思いが、本書をファンタジーからSFへ、そして現実へとシフトすることになります。
 ジャンル間の緊張関係を体現した物語として、とても興味深い作品でした。
【関連】科学と魔法の区別と禁書目録 - 三軒茶屋 別館

天使と宇宙船 (創元SF文庫)

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S-Fマガジン 2008年 01月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2008年 01月号 [雑誌]

*1:意識してのものかどうかは判断がつきかねますが。

*2:他の理由もあるんですけどね。

*3:厳密にはシュリンが修復の旅を続けるでしょうからいずれ世界は元に戻りますが。