『検死審問―インクエスト』(パーシヴァル・ワイルド/創元推理文庫)

検死審問―インクエスト (創元推理文庫)

検死審問―インクエスト (創元推理文庫)

 裏表紙に「乱歩やチャンドラーを魅了した才人ワイルドの代表作」と書いてあって、その文句に釣られて思わず買っちゃいました。私もまだまだ若いですね(笑)。
 巻末の杉江松恋の解説にもありますが、検死審問(INQUEST)は日本にはない法制度です。ですから、訳語も「検死審問」以外の検死法廷や検死裁判といった言葉でも通用します。検死審問とは、死因を法的に確定させるための制度です。異状死体について検視官が陪審員を招集して審問を行うことで死因を特定するためのものです(参考:死因審問 - Wikipedia)。検視官が裁判官めいた仕事を行うことで異状死が見過ごされる可能性が少なくなるというメリットがあります(もっとも、実際のところは作中にある通りのようですが……)。
 てなわけで、かなり専門的なお話かと思いきやさにあらず。”検死”というくらいですから、死体についての詳細な描写が事件の鍵を握るのかと思えばそんなことはまったくありません。ってか、死体は出てきません(笑)。そもそも、本事件を担当する検視官はリー・スローカムですが、彼は検視官に自由な裁量権があるのをいいことに常識的な手順を無視した審問を行います(そのくせ、日当とかの規定は完璧に遵守します・笑)。その非常識なところがまず面白いです。
 確かに面白くはありますが、それにしても非常識です。刑事裁判では偏見にとらわれることなく真実を見つめなければなりませんから一切の予断が排除されることが望ましいです。そのため、日本の刑事訴訟法でも起訴状一本主義が採用されたりしています。このように予断の排除は重要ではありますが、それにしたって本書の場合は、そもそも何が起こったのかというのが最初はまったく分からないのです。高名な女流作家の屋敷で何かがあったらしいのですが、それがいったい何なのか。事件なのか事故なのか、それとも検視官の性質の悪いジョークなのか。とはいえ、何も分からない中から何かを見つけ出すのが裁判の理想であることは違いないので、しぶしぶながらも従うよりありません(笑)。
 非常識なのは検視官だけではありません。本書は、速記者の記録した証言と、検視官と陪審員たちの会話という、二種類の記録からのみ成り立っている異色の構成となっています。検視官のお話なのに記録の検証だけかよ(笑)。でも、この記録が読み物としてとても面白いものに仕上がってます。

 わたしはいわゆる探偵小説を一度も書いたことがありません。
 たくさん読んだのですがどうも好きになれませんでした。
 ああいうものは、創意の凝らし方を誤った習作にすぎません。
(本書p231より)

 これは事件関係者である女流作家の証言ですが、なんと自虐的でシニカルな発言でしょう(笑)。他の証人たちの証言と照らし合わせるとこの言葉の意味はもっと面白いものになります。記録の中から人物像と物語が少しずつ立ち上がってくるのが本書の醍醐味です。
 それに、確かに特異ではありますが、こういう構成である以上読者としての勝負のポイントははっきりしています。ずばり、記録されている証言のどこに不審な点があるか否かです。ただ、全容がつかみにくい構成なだけにそれも難しいんですけどね(苦笑)。
 凝りに凝った構成にばかり目がいきがちですが、最後で明かされる真相はとても鮮やかですし、それでいて結末は洒落が利いてます。こういうのは個人的に大好きです(笑)。温故知新といいますが、まさに古典の中に斬新なミステリをみた思いです。オススメです。
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